やはり再会。

     今日は、再び大理へと戻る日。
    2泊3日の瑞麗は、久しぶりのミャンマー文化に触れられて楽しかった。

     朝、7時頃に起床。久しぶりに蚊に刺されてるやん。
    屋台で朝食の五目米線を食べた後、瑞麗に到着したときのバスターミナルに行って、大理下関までの切符を買おうと、係りの人に言うと、「没有」と返ってくる。
    そんなはずは、ないでしょう。だって、僕は大理下関からここまでの直通バスに乗って来たのだから。
    係りの人が言うには、下関行きのバスは、2日に1本しかないらしく、今日、大理下関まで行きたかったら、
    保山まで行き、そこで乗り換えてください。と言うことだ。
    しかたなく僕は、保山までのバス切符を買って、ボロイミニバスに乗り込んだ。

     バスは午前8時に瑞麗を出発し、街を出る頃には、車内は満席となり、更に車内は、人よりも大きい大量の荷物も積み込まれている。新品のバイク、たくさんの大きな袋、動物が入った箱など。
    そのため車内は、かなり窮屈であり、ゴチャゴチャとしている。
    足の踏み場もない状態なのです。
    そんなバスに乗って、乗り換え地の保山に着いたのが、出発から7時間半後の午後3時30分。

    ここまで来るのに随分と時間がかかったが、ここからは高速道路なので速いはずだ。
    しかし僕が乗った直快バスは、スピードが出ずに遅い。

    行きは2時間だったこの道程が、3時間もかかった。
    そうして、バスが大理下関に着いたのが、午後7時。久しぶりの長時間移動は疲れたのですが、次は、四路のバスに乗って、大理古城へ行かなければならない。

     当初、僕が瑞麗に向かった時は、今日の移動は大理下関までの予定で、明日ここから麗江へ向かう予定だったが、瑞麗滞在中にネット屋へ行くと、僕がミャンマー、タイで出会った、takaさん&アーブーさんが、今、大理古城にいるということなので、僕は予定を変更して、大理古城まで行くことにした。
    四路のバスに乗って、大理古城に着いたときには、日はもう暮れかかっていた。
    こうして僕の約12時間にも及ぶ移動は終わった。「疲れたよー、腹減った。」

    早朝の大理古城にて

     以前に泊まっていたユースに再び宿をとり、同じ宿に泊まっているtakaさん&アーブーさんの部屋をノックするが、反応はなく、今は居ないようなので、僕は一人、晩ご飯を食べに、洋人街のカフェへ。
    前からここで飯を食ってみたかったので、今日は大移動で疲れた自分自身のご褒美として、チキンカレー&パイナップルシェイク(18元)。思っていたよりかは美味しくなかったが、ここで飯を食べたかったので、良しとしときましょう。

    ユースへ戻り、再び部屋をノックすると、反応があったので僕は部屋へ。
    takaさん&アーブーさんも、僕と同じ様なルートをとっていたので、あそこ行った?などと話をしていたが、今は、アーブーさんの体調が悪いらしく、あまり長居することは出来なかった。

    彼等は、僕が大理古城を出発した後、岩崎さんに太陽島カフェと言う、日本人がよく出入りするカフェで、会っていたらしく、その時は、パソコンに向かって、漫画を読んでいたらしく、そして、ついに長編漫画にも手を付けていたから、おそらく、まだ居るだろう。と言うことを教えてくれた。

    「岩崎さんは、麗江に向かっている。」と僕は思っていたのだったが、とりあえず行ってみることにした。
    ユースと同じ通りの博愛路を歩き、太陽島カフェへ行き、扉をガラガラっと開けると、
    いました。ここの半住人のような現実逃避した人たちと、楽しくやっている岩崎さんが。

    扉が開いた音に反応して、振り向いた岩崎さんは、かなりビックリとした様子で、僕を呼び、僕を連れて、店の外へ。

    「麗江へ行ったんじゃなかったのですか?」「ここでもう少し、ホームページを作ってから行こうと思って。それに、楽譜もコピーさせて欲しかったので。」
    岩崎さんは、いつもの有言実行の岩崎さんらしくなく、少しバツが悪そうに僕に言った。

    蒼山門と蒼山

     岩崎さんは僕に「何故?大理古城に。」「ミャンマーで出会った、日本人に会いに。」と僕は、岩崎さんに、再び大理古城へ来た理由を話し、さらに雑談をしていると、また太陽島カフェの扉が開いた。
    そして、そこから現れたのは、なんと!なんと!「マッツォーーーーーー!」
    そうです。私の今回の運命の旅人、スイス人のマッツォ君です。

    ヤンゴン、マンダレー、ミングォン、バガン、バンコク、チェン・マイと、そしてここ大理古城で実になんと!7度目の偶然の再会。

    中国に入ってから、マッツォ君との運命も途絶えたと思っていたのですが・・・
    こんなことって、あんねや。ほんまに運命なのかも、俺達って。
    僕はかなりビックリしたが、マッツォ君も、かなりビックリしている。
    お互いに気持ちの悪い感覚なんでしょうね。男同士ってこともあるし。
    あー、これが男女ならば、気持ちの悪い感覚ではなく、強い運命を感じてしまうのでしょうか?
    そして、彼の次の行き先は、僕と同じ麗江だと言っていた。絶対にまた会うな。

     マッツォ君と彼の二人の友達と別れた僕と岩崎さんは、以前と同じように、僕の部屋で、ビールを飲みながら、音楽を聴き、そして話をしていた。
    「いやー大理、やばいっすよー。」なんて。本当に長居しています、大理古城には。
    僕も、ここには総日数で7日間もいる。多分、明日もここに居るでしょう。





    納西族の里、麗江

     ユースの中庭でテントをたたんでいた岩崎さんに声をかけ、僕達のここでの定番の米線を食べに外へ。
    僕が大理古城へ来てから、途中、瑞麗にも行ったが、もう10日は経った。
    四月に入った大理古城は、陽光も春らしく暖かとなり、風もまた穏やかに吹くようになった。
    標高が2000メートル近くのこの街、大理古城にも、春がやって来たのだ。

    ここには、随分と長い間、滞在してしまったが、僕は今日、ここを離れてさらに北の麗江へ行く。
    麗江は、大理古城よりも寒くなると聞いていたので、また冬に逆戻りか。
    寒さが苦手な僕にとっては、分かってはいましたが、これから更に北上するので、今以上に寒さが身にしみるかと思うと、中国に入った頃は、ためらうこともありましたが、今はもう、ない。
    そんな風に僕の気持ちを高ぶらせるのは、麗江の先のチベット文化圏へ行ってみたいからだ。

     リュックを背負った僕は、岩崎さんと共に、ユースの前でバスを待っていましたが、バスは、なかなか現れず、僕は岩崎さんに2度、3度と別れを言うが、次の麗江でも会えそうな気がするので、今が本当の別れとは、お互いに思ってはいない。そして15分遅れでバスは現れた。
    僕はバスに乗り、岩崎さんに、次は麗江で会いましょうと言い、
    そして楽しすぎた大理古城にも、「ありがとう」とサヨナラを言った。

     緩やかな山道を、バスは登ったり、下ったりすることを繰り返し、そして約3時間後、バスは麗江の新市街のバスターミナルに到着した。
    ここが世界文化遺産の街、麗江なのか?ガイドブックに載っている、古い町並みは何処にあるのだろう?
    そんなことを考えながら、バスを降りた僕に、大理古城と同じように、すかさずオバチャンが声をかけてきた。「アンタ、宿は決まっているのか?良い宿を紹介するよ。」と言ってきているのだが、あいにく今回も最初に行く宿は決まっている。

    2回目に声をかけてきたオバチャンが、僕が行きたい宿の場所を知っており、案内してくれると言うので、僕は、そのオバチャンに付いて行き、新市街を通り抜け、やがて観光客がうごめく、水車がある、「世界文化遺産、麗江」と書かれた記念碑のような場所に着いた。
    おそらくここが、麗江旧市街の入り口のようだ。

    麗江にて

     僕は旧市街へと足を踏み入れ、工事中のため石畳が剥がされた道を歩き、客桟と呼ばれる宿に到着。
    僕にこの宿を教えてくれたのは、大理古城で出会った、chinatsuさんとnaomiさんで、僕は岩崎さんには、ここに泊まるということを言っていた。
    『客桟』と呼ばれる宿は、民家を改造した宿が多く、この宿も民家を改造した宿って言うか、麗江の普通の民家です。
    客室は2階に3つありますが、客は僕一人だけで、1階にはこの家の家族が住んでおり、中庭では、爺ちゃん、婆ちゃんが麻雀をしています。
    そんな和みすぎている、麗江旧市街の家におじゃましている感じの宿に、荷物を置いて、僕は早速、旧市街を散策しに出かけた。

     中国の旧市街は、大理古城のように、城壁の中に造られるのが一般的だが、ここ麗江には、そのような城壁はなく、町並みも規則正しく並んではおらず、所狭しと入り組んでいる。
    麗江の街が城壁に囲まれていない理由は、ここを治めていた領主の木氏が街を囲むと困るという字になるから、街を城壁で囲まなかったという。
    石畳の道の脇には、水路が張り巡らせられており、その向かいの家へは、木の橋が架けられてもいた。

     この街全体が世界文化遺産に指定されているだけあって、古い町並みが保たれている。
    1996年に大地震があり、多くの建物が倒壊したらしいが、見事なまでに再建されている。
    現在も石畳が剥がされ、工事中の所が多く、そんな麗江には、旅行会社の帽子を被った、中国人(漢族)観光客がものすごく多かったのには、かなり驚いた。

     麗江に住む、納西(ナシ)族の民族衣装を着たガイドもいるが、年輩の人、主にお婆ちゃん達は、青い帽子をかぶり、黒と青の衣装を着て、腰には孔雀の羽のような装飾を白い腰当てに付けている人たちもいる。
    四方街という、旧市街の中心へ行けば、このような老人達が集まっている。

    高台から見た、麗江の街並み

     僕は、旧市街の散策をそこそこにして、高台へ行ってみようと思った。
    麗江旧市街には、高い建造物はなく、高い所へ行けば、きっと街を見渡せるに違いないと思い、旧市街の入り口と思われる所にある、宿かレストランが建っている高台に登った。
    予想通り、ここからは黒い瓦屋根が隙間なく密集しているような、麗江旧市街を見渡すことが出来た。
    「すごい、これが麗江かー。」

    こんな風景、今までに見たことがないです。
    黒い屋根瓦がいくつも重なったように埋め尽くされた、街の様は、何百年と変わってないのだろう。
    そんな町並みがあることが、すごい。
    僕は、初めて訪れた、納西族の里、麗江に、驚かずにはいられなかった。