大理の晩餐

     朝、いつものように岩崎さんが、僕の部屋にやって来て、ドアをノックする。
    そして僕が目を覚まし、岩崎さんを招き入れる。
    ここから僕の大理古城での一日の行動が始まるのであった。

     僕が宿泊している国際青年旅館(ユース)からは、蒼山がよく見えるので、僕達の朝の会話は、「今日も雲が多くて、山がよく見えませんねー。」と言う会話が多かったが、しかし今朝は、山には雲は少なく、すばらしい景色が見える。
    僕は、大理古城へ来てから、この時を待っていました。
    あの雪が積もった頂をもっと間近で見てみたいと、ここへ来た時から思っていたのだ。

     朝食の米線を食べながら、僕は、今日は山へ行くことを岩崎さんに告げ、復興路で客引きをしているオバチャンに、連れられ、ロープウエイに乗って、山へ行くことにした。
    料金は一人、60元だったが、ロープウエイ乗り場に着くと、団体チケット(60元)を買ってきたオバチャンが僕に、ここまで連れてきた交通費、10元を払えと言ってくる。

    すでに今回の料金60元は双方が納得をして、支払い済みだったので、そんな事は、最初に値段交渉をしたときに言っておくべき事なので、僕が支払いを拒否すると、オバチャンは僕をここまで連れてきた、軽ワゴン車に乗り込み、帰ってしまった。

    オイオイ!外人をナメとんのかいな!多分、迎えは来ないと思うので、テキトーに一人で帰るしかなさそうだ。
    そんなことは、帰りに考えようと思い、僕は超ハイテク全自動ロープウエイに乗り込んだ。

    ロープウエイの6人乗りのゴンドラに乗っているのは僕一人。
    ロープウエイから見える景色は、これまた美しく、白い雲に青い空、そして青いアール海と大理古城の街が見渡せる。
    僕は、この景色はきっと到着してからゆっくりと見ることが出来ると思っていたので、写真を撮らずにいた。

    (上)恐怖のロープウエイ (右)山上公園?

    しかし、ロープウエイに乗っているとはいえ、この雄大な景色の中で、宙に浮いているのかと思うと、高所恐怖症な僕にとっては、メチャクチャ怖いです。
    さらに、恐怖心を煽るかのように、谷間からは、風が”ビューーー”と吹き荒れ、宙に浮いている、ゴンドラを揺らし、僕によからぬ事を想像させる。
    「こんなところで止まったらどうしよう?落ちるかも?」などを思い描くと、冷や汗がタラーっと流れ落ちてくる。結局、僕は生きた心地がしないまま、ロープウエイに乗り続け、やっと陸に到着。
    なんか、まだ宙にフワフワと浮いている感じがするし、

    帰りもコレに乗らなければならないと思うと、怖さで泣きそうになりましたが、せっかく来たのだからと、気持ちを入れ替え、天気も良いので、僕も他の中国人観光客に混じって、一緒に山を歩いた。

    デッカイ将棋盤と石で造られた駒や鎖につながれた猿など、なんでこんな場所に、こんな物を作ったのかは理解できませんが、久しぶりに、山を歩くのはとても気持ちが良かった。しかし、ここからは雪が積もった蒼山やロープウエイからの景色は見えなくて、汗をかいて登った甲斐もなく、全然おもんない。

    僕の中では、山へ行くのが、大理古城の最大のイベントと思っていたのに、拍子抜けまくり。
    あまりにも期待が大きすぎたため、このような結果になり、急にとてもつまらなくなったので、さっさと僕は、一人でロープウエイ乗り場まで下り、再び恐怖のロープウエイに乗って、山を下りた。
    案の定、迎えの車はなく、僕は最寄りのバス停まで歩いて帰ることにした。

    大理古城にて

     大理古城のユースに着いたのは、午後1時頃だったと思う。
    あまりにも早くに帰ってきたため、部屋でホームページを作っていた岩崎さんが、ビックリした様子で、「山は、どうだったのですか?」と聞いてきたので、僕は「ロープウエイがメチャクチャ怖くて、しかも雪が積もった頂も見えなくて、全然おもしろくなかったので、帰ってきました。」と言い、一緒に昼ご飯を食べに行った。

     昼食後、岩崎さんに、コーヒーでも飲みに行きませんか?と言い、僕達は、カフェが並ぶ洋人街へ。
    大理古城広し?と言えども、まともなコーヒーが飲める店は、洋人街しかなく、少々値段は張るが、今、とてもコーヒーが飲みたい僕は、洋人街のチベタン・カフェへ行くことにした。

     僕が、チベタン・カフェの前の旅行会社に掲げられているバス切符の料金を見ていると、岩崎さんが、チベタン・カフェの外の席に座っている、日本人旅行者と話をしているので、僕も加わり、一緒にコーヒーを飲みながら、話をしていた。

    chinatsuさんとnaomiさんは、僕が旅しているルートの逆を旅しており、僕が次に行く麗江から大理古城へ来たので、麗江のことを聞いたり、僕と岩崎さんの出会いの経緯や、岩崎さんの旅の話などで、大いに盛り上がり、夕食を一緒に食べましょうと言うことで、一度お開き。
    僕達も、別行動をとり、僕は街をブラブラ、岩崎さんはネット屋へ。

     待ち合わせの午後7時、僕達4人は再び、チベタン・カフェに集まり、いざ!大理の晩餐へ。
    僕達4人が、今夜の晩餐の場所に選んだ店は、地元大理の白族風味の小さな店。
    どってことない、大理にはどこにでもある小さな食堂ですが、僕は中国に入国して初の大人数での食事なので、おかずを数品頼むことが出来るので、とても楽しみ。

    晩餐メニューと城門のライトアップ

    大理ビールで乾杯をして、さて何を食べましょうか?
    メニューは漢字なのですが、どんな物かは、想像出来ない料理が多い中、僕達が選んだ、大理の晩餐のメニューは、麻辣豆腐(辛い麻婆豆腐)と回鍋肉(ホイコーロー)とジャガイモの千切りをお好み焼き風に焼いたものと、猪肉(豚肉)の野菜炒めの4品とそれぞれに白飯という豪華メニュー。

    テーブルの上におかずが4品も並んだ光景を見るのが、4人とも久しぶりのことだったので、4人とも狂ったようにガッツキながら、それが落ち着くと旅の話しをしていた。
    大満足の中、晩餐は終了し、僕の部屋で2次会をすることになった。

    岩崎さんのパソコンに収納されている、東南アジア以降の写真を見ながら、ここでも旅の話で盛り上がり、更に、岩崎さんが真顔で言った「ゴン中田」最高でした。久々に笑わせてもらいました。
    とても楽しい時間だったのですが、12時になりお開き。
    chinatsuさん、naomiさん、とても楽しかったです。謝謝、ほんまに。

    僕は明日、楽しかった大理古城を出発するつもりなのですが、ほんまに出れんかいな。




    国境の街、瑞麗

     予想通り、翌日はここ大理古城を離れることができずに、僕がミャンマーと国境を接する街、瑞麗(ルイリー)へ向かったのは、更に翌日。大理の晩餐から2日後のことです。
    瑞麗へは、最初から行こうとは決めてはいなかったが、僕は昆明、大理、麗江という、雲南省ゴールデンルートを素直に通るのは、あまりにも当たり前すぎて、少し脱線しようと雲南省に入った時から考えていたが、その行き先は、大理古城に着いてもまだ決まっていなかった。

     瑞麗へ行こうと決めたのは、一昨日の大理の晩餐の日、chinatsuさんとnaomiさんが持っていたガイドブックを見せてもらった時、ミャンマーとの国境の街、瑞麗という街を知って、とても気になり、大理古城からもバスがあったので、久しぶりにミャンマー気分を味わえるかもしれないと思い、瑞麗行きを決めた。

     出発の日の早朝、見送りに来てくれていた岩崎さんに「次は麗江で。」と言うが、それ以外は、別れらしいことも出来ずに、僕は大理下関へ向かうバスに乗り込んだ。
    午前8時30分に瑞麗行きのバスに乗り、バスは出来立てホヤホヤの高速道路を快調に飛ばし、約2時間で保山へ。
    保山からもしばらくは高速道路でしたが、建設中のため、ここからは西双版納の時のようなカーブの多い細い山道を走った。

     気候も大理よりも、暖かくなり、僕は今朝まで来ていたジャンパーをもう脱いでいる。
    瑞麗はもっと暑いのだろうな。いままで、寒くなっていく一方だったので、暑いところへ行けるのが嬉しい。
    車窓から見える景色も椰子の木などが、多くなってきて、南国情緒が随所に見え始めた。

    そしてバスは、もう一つの国境の街、ワン(田へんに宛)町へ入り、橋を越えればもうミャンマーって場所の免税店で乗客達は、大量の煙草を購入していた。

    橋の向こうにはミャンマー国旗が風になびいている。
    ロンヂー姿の人もチラホラと見ることが出来、とても懐かしい。
    多くの煙草の入った段ボールを積み込み、バスは出発し、そして午後4時、予定よりも4時間も早く、国境の街、瑞麗に到着した。

    4時間も早く着くなんて、高速道路のおかげですね。
    僕は、今日一日は移動で終わりだと覚悟していたので、予定が狂って大助かりです。
    ゆっくりと宿探しをすることも出来、僕は2軒の旅社を見て、2軒目の東方招待所に宿をとることにした。
    値段は1泊=30元。(約450円)僕にしては安いほうの宿である。

    ルイリーの緬式喫茶店にて

     荷物を置き、早速、昼ご飯を食べに近くの食堂へ。
    僕は、移動中はトイレを控えるため、ほとんど食べないので、もう腹が減ってしゃーない。
    おかず2品と白飯を注文し(5元)、そして嬉しいことに、さすがミャンマーとの国境の街だけあって、レモンジュースがあったので(2元)それを飲みながら、休憩。僕はもう半袖で過ごしている。
    この食堂の神棚には、中国ではなく、タイ族なのでしょうか、仏像が描かれた絵にビルマ文字が書いてあった。

     この後は、少しだけ街散策。まだ街の大きさが分からないので、迷子にならない程度に歩く。
    しばらく歩くと、公園があり、その近くに宝石街があって、この辺りには、たくさんのロンヂー姿のミャンマー人が。
    さらに女性や子供達は、これまた懐かしい“タナカ”(紫外線防止?の木の粉)を塗っている人が多い。
    宝石商はインド系の人が多く、彼等のしつこさ、それにノリの軽さに接していると、僕は、ここが中国だってことを一瞬、忘れてしまっていた。あんたら最高です。

    さらにここには、嬉しいことに、ミャンマー式喫茶店もあり、久しぶりにミャンマー式で、ミャンマーのときよりかは、甘くはなかったが、とても懐かしく僕はコーヒーを飲んでいた。
    このエリアを出ると、中国の街なのですが、瑞麗はタイ族の自治州だけあって、いたるところにビルマ文字が書かれている。
    強烈です。ミャンマーパワー。中国文化から、ミャンマー文化に接すると、文化と人種の違いに、タチレクよりも、僕はインパクトを受けた。

    ルイリーにて

     翌日も僕は、瑞麗市珠宝街のミャンマー式喫茶店で、朝のコーヒーを飲んでいたが、昨日は懐かしく飲んでいたが、改めて飲むと、やっぱりマズイ。その後、市場へ行くが、市場はどこも同じような感じ。
    そして僕は、瑞麗で初めての緬式按摩(ミャンマー式マッサージ)を体験。
    寝転がった僕に、マッサージ師の人が、足の裏で僕を踏みつけたり、肘でグリグリとされたりと、なんか、虐められてるみたいな感じ。そして最後にキャメルクラッチで終了と、身体が軽くなるどころか疲れた。

     地図を買った僕は、ミャンマーとの国境になっている川へ行った。
    川の向こうには、なにもないミャンマーの風景が見えたが、飛び地となっている中国領には、たくさんの建物が、所狭しと立ち並んでいた。僕達、外国人は国境を越えることは出来ない。飛び地となっている場所にも行けない。
    ツアーに参加する事も出来ず、ミャンマーには入ることが出来ないのが、残念だったのですが、こうして、久しぶりにミャンマー文化に触れられて、楽しかったです。

     夜、宿へ帰ろうとしているところを、食堂の人に呼び止められて、しばらく筆談をしていた。
    僕はレモンジュースを飲みながら、子守をしている女の子と筆談。
    ここ、瑞麗でもあと2週間ほどで、水掛祭り(ソンクラー)が始まるらしい。
    見てみたいのですが、そんなにも長くここにいることは出来ない。
    今回いや、前から僕の旅は、ことごとく祭りを外しています。長期間の旅なのでなかなかタイミングが合いません。
    それでなくても、海外旅行は、十分に楽しむ価値がありますね。