12月26日(土)
お昼ごはんは、3回目となる、チベット・レストランへ。
午後1時過ぎとあってか、1Fは、満席なので、初の2Fへ。
食べたのは、やっぱりシャムデ(8元)
ヤク肉とジャガイモのカレーです。これが、好きです。
店員の女の子とも、挨拶するようになり、これで終わりとは、寂しいものです。
写真、撮りたかったです。
そして、昨日の夜。
宿の前の通りで見つけた、ブランケットを購入。
これは、5年前、ラダックのレーでの俺のスタイルでもあった。
5年前は、単なる防寒でしたが、今回は、いかに外国人に見られるかが、問題だ。
俺の思惑では、これを羽織れば、外国人に見られるかも?
まず、こんなん着ている人は、ラサでは、誰もいない。
漢族は、こんな変な格好は、まずしないと思うし、これで外国人だと判断されれば、写真も撮りやすくなるだろう。
なんて思い、購入しましたが、どう見られるのか?
部屋に戻り、OM-2の電池を入れ替え、ジャンパーの代わりに、これを羽織って、宿を出た。
ローライ35Tを手に持ち、OM-2は、ひとまずカバンに入れて、3度目のバルコル周辺を歩く。
俺の格好の反応は、予想以上で、見られ過ぎだ。
誰もが振り返ったり、直視する。
おかげで、チベット人からの冷たい視線は、消えて、写真は、めちゃくちゃ撮りやすくなった。
チベット人のおばちゃんが、着崩れたら、直してくれたりも、してくれました。
もっと早くにやっていれば、良かったが、間に合って良かったという気持ちの方が強い。
中国人(漢族)からも見られ、チベット人は、本来の陽気さで、話し掛けてきてくれます。
写真が撮りやすく、嬉しい反面、絵に描いたような、旅人の格好なので、誰もが振り返ります。
ここまで見られると、さすがに、恥ずかしいです。
夕方の6時。
OM-2にカラーフィルムを入れて、ジョカンへ。
夕方のジョカンは、本当に綺麗で、これは、是非ともカラーで撮っておきたかった。
でも、今日は雲が多く、昨日よりも、輝いていない。
しかし、再びバルコルをコルラし、ジョカンに戻ってくると、綺麗に夕日に照らされています。
この7日間、毎日、訪れたジョカン。
大好きです。
ジョカンを撮り終えた僕は、急ぎ足で、ポタラ宮へ。
夕日に照らされた、ポタラ宮は、日中よりも立体感が増し、輝いていた。
そして、主が帰ってくる日をじっと待っている、哀愁すら感じた。
今日で、ラサ滞在が終わります。
明日は、早朝、空路で成都へ行きます。
ラサの街は、5年前と比べると、中国人エリアが、拡大していて、さらに大きな街になっていたが、
それは、中国の一地方都市としてのラサではなく、ラサが、中国であるということを外から来るような、僕達に見せ付けている感じもした。
現在のラサは、チベット人よりも漢族の方が、多い。
ラサは、チベット人にとっては、聖なる都。
中国にとっては、ラサは、チベットの心臓であり、脳でもあり、アキレス腱でもある。
中国は、これからもラサを守るだろう。
チベット人を守るのではなく、ラサと言う街を守るでしょう。
あらゆる手段を使って。
そして、チベット人は、それを許さないだろう。
街を歩き、街の空気が、5年前と変わったことに気が付いた。
街が二つに分かれていること。心が二つに分かれていること。
チベット人と中国人。
もっと前から、分かれていたと思うが、お互いに気が付くくらい、感じ取れる。
中国とチベットは、絶対に仲良くなれないな。
と、思いました。
個人的な意見ですが、ダライラマ14世が唱えている、中道路線は、双方とも受け入れられないでしょう。
ここに住んでいる人たちにとっては、受け入れられないでしょう。
小さく例えると、無理矢理、結婚させられて、喧嘩で別れた夫婦が、一つ屋根の下で暮らすようなもんです。
そんな話は、これくらいにして、
今回のラサ滞在は、短かったですが、5年前に1ヶ月以上いたときよりも、純粋に楽しめました。
これは、俺にとって、すごく大事なことでした。
もう一度、ラサに行くってことが、俺の人生において、とても重要なことでした。
思い出を、少しは、塗り替えることが、出来たかなと思っています。
最後の夕食は、スノーランド レストランへ行き、ヤクステーキ(40元)とレモンティー(5元)。
ヤクステーキ(外国人向け)は、ラサに来たならば、絶対に食べてみたかったので、満足。
美味しかったですよ。
食に関しては、大満足です。
トゥクパ、バター茶、シャムデ、光明商店のミルクティー、デプンゴンパのモモ。
部屋に戻り、リュックに荷物を詰め込むが、あんなにスペースがいっぱいあったのに、ちょうど良くなりました。
もう、増えることもないし、減ることもないだろう。
さぁ、今夜も白酒のお湯割り飲んで、寝よう!
バイバイ、ラサ。ありがとう、ラサ。
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