12月21日(月)
ポタラ宮を見学した後は、ジョカン(入場料85元)へと行きましたが、あっさり終了。。
ガイドと一緒に、昼食を食べたあとは、一人で自由行動です。
部屋に戻って、コーヒー(日本から持参)を飲んで、休憩した後、時間は、2時くらいですが、一人でポタラ宮の周りを歩いてみました。
ポタラ宮の後ろは、公園になっていて、ポタラ宮側には、マニ車が、ズラッと並んでいます。
その前には、お店があったりします。
肉屋、バター屋などなど。
公園には、チョルテンが建っていたり、健康遊具があったり、池があったりと、人々の憩いの場となっているような感じを受けました。
僕は、カメラをぶら下げながら、たまにマニ車を回したりして、とぼとぼと歩き、公園内をブラブラと歩いていますが、何か、つまらん。
カメラを向けると、人は逃げるし。
写真なんか、撮れない。
そら、ちょっとは、チベット人の少年と出会ったりもしましたが、つまらん時間の方が、長かった。
凍った池の前のベンチに座り、タバコを吸う。
池に石を投げると、氷は、割れない。
やっぱ、つまらん。
つまらんを連発した後、5年前にも行った、川沿いにある商店街へと向かった。
江蘇路をひたすら歩く。
この道沿いには、チベット人民政府が置かれていて、高い塀が続く。
ひたすら歩き、思った。
「なんか無駄な時間を過ごしていると。」
商店街に着いたが、昔の面影は、なくなっていた。
工事中なのか?道は剥がれ、建物は壊れている。
やってる所もありますが、きっと2年後くらいには、メッチャきれいになっているのでしょう。
帰りは、サッと人力三輪車で帰りました。
今日の夕食は、部屋で食べようと、超市(スーパーマーケット)へ行って、カップラーメンやソーセージ、白酒、ビールなどを買い、宿へ帰った。
ラサに来て、2日目を終えようとしている。
今日は、ラサの街を結構、歩きました。
ポタラ宮やジョカンにも行ったし。
この時期(冬)の建物の見学は、とても冷えますので、街中だと、侮っていては、寒さが身にこたえますので、手袋やカイロ、それに帽子は、必要だと思いました。
それと、チベットの冬は、巡礼のシーズンなので、ジョカンは、長蛇の列!
メチャメチャ、人が多いので、ゆっくりと見学するのは、難しい。
ゆっくりと見学したかったら、チベット人と同じように、長蛇の列に加わるしかない。
冬のラサには、チベット全土から、人が集まる。
大勢の人が、ポタラ宮とジョカンを目指し、やってくるのだ。
俺もその光景が見たくて、冬のラサに来たが、ジョカンやバルコルは、身動きが取れない状態に近い。
何で、こんなに、人が多いねん!って思うくらいでした。
そんな状態なので、写真どころじゃないし、俺の見かけが外国人に見られないこともあり、睨んできたりと、冷たい視線の応酬。
どっちかって言うと、漢族の方が、優しいです。
ラサの街は、5年前と比べると、大きくなっています。
単に、中国人街が、広くなっただけですが。。。
5年前には、あった、ポタラ宮前の写真屋さんなども、暴動後になくなったらしい。
それに、これは知らなかったが、ポタラ宮前にディスコもあったらしく、これも、暴動(暴動って言っていいのか?)で潰された。
だいたい、チベットの聖なる場所に、こんなんを作ったのは、単に、チベット人に対しての嫌がらせだと思います。
そら、怒りも買うわ。
俺もチベット人だったら、ぶっ潰す!
インターネットをしようと思い、ゲストハウスを数件見てまわるが、どこもクローズ。
キレーホテル、ヤクホテル、バナクショー、スノーランドと完全に閉鎖されている。
このゲストハウスが集まる通りは、チベットの旧市街にあたり、この通りを銃を持ち、武装した兵士達が、目を光らせている。
目を光らせている兵士達は、みな若い。
10台後半から、20代前半の若者だと感じた。
これは、かなり問題だ。
彼らは、上からの命令は、絶対だろう。
何故、チベットが、こんなことになったのか、知らないと思う。
自分で考えることも、出来ないと思う。
歴史を知らないのは、無知の単細胞。
果たして、彼らに、チベットが何故こうなったのか?
何故、自分は、ラサに行かなければならないのか?と、考える力があって欲しいと願います。
やっぱり、中国は、おかしな国です。
チベット人は、暴動によって、民族の誇りを取り戻した感じがする。
俺は、迷惑を被ってますが。。。
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