疑惑のナラヤンヒティ王宮博物館
2012年1月2日
ポカラから、カトマンドゥに戻って来てからの4日間の夕方、もしくは夜には、いつもカフェへ行き、
コーヒーを飲みながら、日記を書いていた。
ここへ来るもの今日が、最後だ。
今夜、ネパールを発ち、日本へ帰国する。
お洒落な店内は、ここがネパールとは、思えないくらい。
席へ着き、注文をして、日記帳を広げた。
これから、夕食の時間まで、今日の出来事を書き綴ろう。
今朝は、電気が点かなかったので、お湯を沸かして、コーヒーを飲むのを諦めた。
最後なのに、残念だ。
昨晩は、雨が降っていたせいなのか、宿の前の通りが、静かだったので、おかげで良く眠れた。
今回の部屋は、前回と違い、通りに面している部屋なので、12月31日の夜は、他の日と比べ、メチャメチャ騒々しかった。
この日は、俺も店で飲んでいた。
午前8時半。
2日目の朝にも行った、フロリドの横のチャイ屋で、朝食。
ホイップクリームが挟んであるパンとチャイ。
7年前は、このチャイ屋に行けば、誰かしら旅人がいて、話し相手に困ることが無かったが、
今は、地元のオッサン達のたまり場と変わっている。
前の通りも日本人バックパッカーが、うようよ居たのに、今は、静かなもんだ。
その通りの奥に進むと、高架下のような短いトンネルがあり、潜る抜けると、車やバイクが通る、道路に出る。
Paknajolとガイドブックには、書いてあります。
舗装されていない、通りには、水たまりが、いくつも出来ていました。
車やバイクに泥水を掛けられないように、気をつけて歩かないといけない。
肉屋が並ぶ場所へと着いた。
ここは、7年前に泊まっていた、メトロポリタン・カンティプールの近くです。
解体された羊が、大理石の台の上に、並べれている。
タメルをブラブラと歩くが、まだ店が開いていません。
今日は、最終日なので、買い物に励みたいが、まだ早いみたいなので、ダルバール広場へ行って、ジョッチェンまで行ってみようと思う。
雨が降らなければ良いが。
ダルバール広場に着くが、案の定、雨が降って来た。
早く、お土産を買ってしまおう。
お土産は、自分の物ではなく、ほとんどが姪っ子の物。
腕輪、おでこに貼るシール、ジャンパーやポンチョなど。
結局、雨脚が強まることがなく、11時半頃には、土産を買い終わり、部屋へと戻った。
さあ、買い物も終わったし、最後に何処かへ行きましょう!
ガイドブックを見て、ナラヤンヒティ王宮博物館へ行くことにした。
ここは、7年前は、王宮だったので入れなかった所だ。
タメルから、歩いて10分程度で、ナラヤンヒティ王宮博物館に到着した。
結構、観光客が多いのですね。それに入場料は、500Rsと高い。
持って来ていた荷物、カメラ、タバコ、ライター、かばん。
ガイドブックと水以外を預けて、さあ出発だ!
建物の前の広場には、銃を携えた警察が、警備をしている。
ネパールの王制が廃止されたのは、2008年で、ここが公開されたのが、2009年とつい最近のこと。
まだまだ警備が厳重です。
広大な敷地に建つ、立派な建物。
大理石の階段の両端には、彫刻が置いてあり、建物の扉も装飾が施してあり、立派だ。
さすが、王宮。まだ中へは、入っていないが、すでに圧巻。
中へ入ると、ネパールでは、初めてじゃないでしょうか?
暖房が効いている部屋なんて!
各部屋を見て回る。
廊下の床は、ほとんど大理石のタイルが貼られており、壁には、絵画や彫刻、虎やサイの剥製が、飾られている。
きっと、いろんな国の人たちから、貰ったのでしょうね。
部屋にあった電化製品は、少々古い感じだ。
ある部屋には、日本の天皇陛下、皇后、皇太子の写真もありました。
お互い、王族同士、交流があったことが分かります。
高天井の部屋など、当たり前だが、どこをとっても当たり前じゃない。
孔雀のステンドグラスも奇麗だ。
建物を出て、次は、王族の殺害現場となった、建物跡へ。
ここは、ネパールの人たちには、大変興味があるところなのでしょう。
大勢の人たちの話し声が絶えず、聞こえてくる。何を言っているのか、全く分かりませんが、
指差す方を見てみると、壁に弾痕が残っています。
これは、2001年6月1日に起こった、ナラヤンヒティ王宮事件の跡です。
謎が多い事件だったらしく、ネパール国民も興味津々なのです。
1時間ほど、ナラヤンヒティ王宮博物館を見学。
カトマンドゥの喧噪から、少し離れられて、リフレッシュできました。
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