ヒマラヤが見える街、ドゥリケル
楽しかったバクタプルとも、いよいよお別れ、今日は、ドゥリケルへ行きます。
停電が多いネパールでは、夜に出歩くような事はなく、自然に早寝早起きの習慣がついた。
午前7時前には、目を覚まし、昨晩に買っておいた、パンとジュースの朝食を終えて、出発の準備にとりかかった。
結局、二晩経っても洗濯物は、乾かず、まだ湿っているが、この服を着る事にした。
このまま体温で乾かそう。
それが、一番良いように思えた。
8時にバクタプルの宿をチェック・アウトして、従業員にドゥリケル行きのバス停の場所を教えてもらい、宿を出た。
ドゥリケル行きのバス停は、アルニコ・ハイウェイ(Arniko Highway)沿いにあるので、宿を出て、すぐに左に曲がった。
あー、バクタプルともこれでお別れだ。
小さな川に、橋が架かっていて、それを越えると、アルニコ・ハイウェイは、すぐそこだ。
最後に1枚、写真を撮っておこうと、OM-2をカバンから出して、シャッターを切る。
ついでにデジカメでも写真を撮る。
バイバイ!バクタプル。
OM-2を再び、カバンにしまうこともなく、首からぶら下げることにした。
いつ写真が撮りたくなるか、分からないので、こっちの方が良い。
バス停がいくつも並ぶ、アルニコ・ハイウェイには、宿を出てから10分も掛からなかった。
こんなにバス停が、多かったら、どれがドゥリケル行きのバス停なのか、分からない。
一つのバス停へ行き、赤ん坊を抱きかかえた婦人に、「ドゥリケル、ドゥリケル」と言うと、婦人の側にいた老婆が、
流暢な英語で、ここで良いという事を教えてくれた。
ここで良いという事なので、このバス停で、しばらく待っていると、「バネパ!ドゥリケール!」
という叫び声とともにバスは、やって来た。
老婆が、あれに乗りなさいって感じで、バスを指差して教えてくれた。
しかし、すでにバスには、ものすごい多くの人が乗車している。
「どうやって乗るねん、こんなバスに。」
これが日本の通勤電車だったら、確実に次の電車を選ぶ俺ですが、すでに旅人と化した俺は、躊躇う事も無く、
俺もネパール人達と同じように、乗車口の前に駆け込んだ。
バスの中に入れたのは良いが、俺のリュックが、ものすごく邪魔で、他の乗客の妨げになっている。
悪いとは思うが、どうして良いのか分からなかった。
そんな俺を見かねてか、それともこういう事は、日常茶飯事なのか知らないが、
バスのアシスタントのオッサンが、俺のリュックを持って、一番前の席に座っている人の足下に、リュックを突っ込んだ。
俺は、天井近くに取り付けられた、荷物受けの棚をにぎりしめ、立ったまま乗っている。
乗客が乗り込んだ事を確認したオッサンは、バスの車体をバンバン!と叩いた。
バスが、動き出した。
ドゥリケルへ向かって出発だ!
それにしても天井が低いバスだ。
立ったまま乗っている俺は、首をすくめるような格好だ。
そうしないとバスが揺れるたびに、頭をぶつけてしまう。
景色を見るのは、さらに腰を少し曲げなければ、いけなかった。
のんびりと、ゆっくり走るバスに対して、アシスタント(集金係)のオッサンは、
「バネパ!ドゥリケール!」と大声で叫び、乗客を拾い、忙しそうだ。
乗客が増えるたびに、すでに乗車している僕らは、奥へ奥へと詰めるように移動していった。
すでに、リュックは、視界からは、見えない。
いったい、このバスには、何人くらいの人が乗っているのでしょうか?
朝の通勤の時間帯だと思うのですが、すごい詰め込みようです。
若い女性や老人なんかも容赦はない。
誰も身動きが取れません。
もうこのバスには、人を詰め込めないのか、バスはスピードを上げて、走り出した。
窮屈ですが、やっと定位置を確保した俺は、少し身をかがめて、外の景色を見た。
レンガの製造工場なのでしょうか?広い敷地に、無数のレンガが積み上げられている。
レンガ工場を通り過ぎると、段々畑が広がり、その先には、神々しい姿をしたヒマラヤ山脈が見える。
きっと今、この風景に感動しているのは、俺だけなんでしょうね。
皆にとっては、毎日見る通勤の風景なんですから。
バネパと言う、大きな街に着く手前で、俺は席に座れた。
ここからだと、リュックが確認できた。
バネパで、乗客の大半が入れ替わり、そこから15分ほどで、ドゥリケルに到着した。
ドゥリケルに着いた時には、あれだけ乗っていた乗客は、たった数人で、このときやっと運賃を払う事ができました。(30Rs)
ドゥリケルに着いた。
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