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河西回廊とは、5000m級の山が連なる、祁連山脈とバタインジャラン砂漠に、挟まれた、
東西、約1000キロ、南北40キロ~100キロの細長い、地域を河西回廊と呼びます。
その細長い河西回廊には、河西四郡と呼ばれた、武威、張掖、酒泉、敦煌の街があります。
それぞれの街は、紀元前100年頃からの長い歴史のある街。
今回の旅は、これらの街を巡る旅ですが、河西回廊の東の街、武威には、日程的に余裕が無かったので、行っていない。
そして、張掖からのバスに乗って、これから向かう先は、かつては、粛州と呼ばれた、酒泉と言う街。
酒が湧き出たと言う、伝説の泉を持つ街、酒泉。
どんな街なんでしょうか?
出発前にタバコを吸っておこうと、車内から、外へ出たが、すぐに出発の合図があり、
まだ火をつけて間もないタバコを消して、バスの中へ。
9時05分の酒泉行きのバスは、ほぼ定刻通りに、張掖のバスターミナルを出発した。
今回の移動の道路状態は、悪くはなかった。
車窓の左側には、祁連山脈が、横たわるように、延々と続いている。
右側にも山が連なっている風景が見える。
きっと、その向こう側が、砂漠なのだろう。
ほんと幅が狭い、目視で確認ができるくらい、ほんま回廊のようだと感じた。
やっと、河西回廊の風景を見る事が出来た。
そして、出発してから、約4時間後の午後1時に、バスは酒泉の街に到着した。
酒泉の街は、とても大きくて、高層マンションなんかも建ち並んでいます。
今まで、ずっと同じような、人工の物が、ほとんどない景色が続いていたので、
眠たくなって来ていたところだったので、マンション群が目に入った瞬間、目が覚めた。
酒泉は、想像以上に都会でした。
バスお降りた俺は、リュックを背負い、街のシンボルでもある鼓楼を目指し、歩いた。
なかなかの都会っぷりに、驚きながら、歩き始めて、15分ほどで、鼓楼に着いた。
さあ、さっさと宿を決めよう。
ここには、1泊しかしないし、すぐに嘉峪関へ行きたいからだ。
幸い、鼓楼近くの通りには、飯店や大酒店(ホテル)の看板が、たくさんあります。
宿代もケチったりする気はないので、余裕で決められそうです。
が、しかし!
ここ酒泉は、どうやら外国人が泊まれる宿は、決められているようで、宿探しに、ものすごく時間を取られてしまった。
もう3軒も断られている。
1軒目は、民族飯店。
部屋を見せてもらい、okと言い、フロントへ行って、パスポートを見せたら、断られた。
しょうがない。次、行こう。
2軒目は、その向かいにある宿。
エレベーターに乗って、フロントのある階へ行く。
中国語で、部屋ありますか?いくらですか?部屋を見せて下さい。と、ここまでは、良いのですが、
チェック・インの時、外国人だと分かると、やっぱり断られた。
酒泉の鐘鼓楼
リュックを背負った状態で、街を歩くのは、結構しんどいです。
汗が出るし、気持ちも焦ります。時間だけが、過ぎてゆく。
途方に暮れる思いを久しぶりに味わった。
こんなにも宿探しに手間取ったのは、久しぶりです。
旅をしていた頃を思い出します。
3軒目の宿は、粛園街と言う通りにある、何とか賓館。
スタッフの女の子も可愛かったし、対応も良かったのに、やっぱ外国人なので、泊まれませんでしたが、
その女の子に聞いた、「酒泉飯店」なら、大丈夫だと言う事なので、そこにチェック・イン。
1泊=198元で、朝食付き。
やっと決まった。ふっー。
うわっ!宿探しに、1時間半もかかってしまった。
もう3時やん。
俺は、せっかくのキレイな部屋で、落ち着く事はなく、急いで、部屋を出た。
さあ、嘉峪関へ行きましょう。