張掖は、かつては、甘州と呼ばれた街で、祁連(きれん)山脈の北側にある、街です。
甘粛省の「甘」は、ここから来ていて、「粛」は、次に訪れる酒泉が、粛州と呼ばれていたことから、来ています。
また張液は、イタリア商人のマルコ・ポーロが、滞在していた街です。
そう、あの「東方見聞録」で有名な。
居心地の良い部屋で、少し休憩をして、街へとくりだした。
って言っても、カメラをぶら下げ、ブラブラです。何処へ行こうかな?
ガイドブックの地図を見て、明清街の方へ行ってみようと思います。
大通りから、一つ外れた通りは、人通りは、多くない。
歩道が工事中ってこともあり、開いていないお店も、まだあってか、閑散としていると言っても、いいくらい。
そんな通りを歩いていると、不思議な光景が。
何かが、空中を舞っています。
それは、雪のようですが、5月に雪は、あり得ないし、そこまで寒くない。
別に、5月に雪が降っていようが、あまり驚きませんが、なんか、ちゃう。
それは、フワフワっと、降っては、消える事無く、地上に舞い降りて、積もっています。
なんやろ?
明清街
舞っている物体を落ちるまで目で追い、落ちた先に目をやった。それは、綿でした。
幻想的とまでは、いかないが、すごく、すごく、不思議な光景。
俺が、この旅で、一番驚いた光景が、これでした。
雪のように、フワフワと無数の綿が、直線的ではなく、左右に揺れるように街を舞っている、光景。
酒泉や敦煌でも、見ましたが、少しです。
張掖で見たのが、一番で街全体に、綿が降り舞っていた。
通りの至る所には、解けない雪が、積もっている感じです。
古い町並みを再建した、明清街へ着くが、何かちゃう。
建物は、昔を再現しているかもしれませんが、看板やそれ以外の物が、今すぎる。
露天やお店も、現在、準備中。
でも、ここは、楽しそうな感じなので、また来てみましょう。
そんな明清街を抜けた所にあるのが、甘泉公園です。(入場料2元)
立派な、昔風の建物を模した入口は、立派ですが、中は、池と縁日と小さな遊園地が、あったりと、
全ての物が、明らかに、ショボイ公園です。
甘泉公園
まるで子供だましのような公園。
何で、こんな風になるねん!中国って国のセンスの無さが、現れてます。
しかし、ここに姪っ子を連れて行ったら、絶対に、端から端までの露店を順番に、行っていると思います。
そして、小さな遊園地では、中国ってことを忘れて、思いっきり遊んでいる事でしょう。
まだ店も準備中やし、大人な俺は、散歩するくらいです。
俺は、そんな甘泉公園を時間を潰すかのように、何もやる事が無く、何も考える事も無く、ボケッとしてます。
池には、舞い降りた綿が、一面に広がっています。
遠くから、合唱の練習なのか、歌声も聞こえます。
さて、話題は、変わりますが、河西回廊の街には、駅前や広場など、人が集まりそうな場所には、
馬の像が、建っています。天水、酒泉でも見たし、甘泉公園にも、ありました。
これは、銅奔馬と言うもので、「飛燕を踏む馬(馬踏飛燕)」と言って武威の雷台で発掘された物で、
この地域の馬を模した物で、河西回廊の街では、良く見かけます。
そんで、中国の旅游局のシンボルマークにもなっています。
さあ、次へ行きましょう。
甘泉公園の入口の前。
明清街の端にもあたりますが、そこには、たくさんの食べ物屋台が、あります。
串揚げや広東煮(おでん)、果物の屋台など。
欧式一条街
さてさて、そんな屋台街で、パイナップル(2元)を買って、
食べながら、歩いて、着いた通りは、マルコ・ポーロ像が建っている通りです。
欧式一条街と名付けられた通りは、一応、パステルカラーの洋風の建物が、建ち並んでいますが、それ以外は、全て、中国。
文字も看板も人間も。
これっ!ギャグなん?って感じ。
ほんま、自分、なんも分かってへんなって感じの通りでした。
いつ作られた通りか、分かれへんけど、センスなさすぎ。
こんな通り、マルコ・ポーロも嘆くで。
でも旅人にとっては、この違和感を楽しめますけど。。。
なんか、メッチャ無理してるな。この通り。
歩みを進め、バスターミナルへ。
次へ行く、酒泉行きの時間を確かめる。
「結構、本数があるので、当日でも、大丈夫やろ。」と、ここを後にした。