プーアル茶の産地

     今日は、5日ぶりの移動なので、早く起きようと思っていたのですが、現在9:00です。
    なんか、中国に入ってから、気が抜けています。シャキッとしなければ。
    宿の近くにある食堂で、いつものように米線(うどんのような物)を食べに行く。
    景洪では毎朝、同じ店で朝食を食べていますが、ここで朝飯を食べるのも、今日が最後。
    米線は、米の麺に数種類のトッピングを好きなだけ入れて食べるのですが、おいしいので僕は好きです。
    毎日、トッピング(具)を変えると飽きないし。
    そして店員の女の子も、いつも笑顔で迎えてくれて謝謝。

     そして僕は、久しぶりにリュックを背負い、宿の隣の版納バスターミナルへ。
    切符売り場で、今日の目的地のプーアル行きのバス切符を買うつもりだったのですが、プーアル行きのバスは、残念なことに今から1時間後に出発予定なので、これじゃ、時間がもったいない。
    人がせっかく、やる気になっているのに、こういう事で足止めを食うのは、困ったものです。
    やる気のあるうちに行動したい僕は、スーマオで乗り継いでプーアルまで行くことにした。

    景洪の食堂にて

     プーアルは景洪の北隣にある地区、思芽(スーマオ)地区にあるので、この地区の中心地、思芽まで行けば、プーアル行きのバスが、多数出ていると考えた僕は、20分後に出発の思芽行きのバスに乗り込んだ。
    (29元5角)果たして、乗り換えはうまくいくのでしょうか?

    景洪から思芽までは、バスで約4時間かかった。
    現在、時間は14:00ほぼちょうど。

    僕は急いで、切符売り場まで行き、プーアル行きのバスの時間を見に行ったら、運良く、14:10発のプーアル行きのバスがあったので、僕は切符を買い(10元5角)そしてプーアル行きの見事なまでのボロバスに乗った。これで作戦は成功です。
    ボロバスは、山を越え、田園風景を走り抜けて、15:30にプーアルに到着した。

     プーアルは普アル(アルは、さんずいに耳)ハニ族イ族自治県と言いまして、ここも、少数民族の街なのですが、顔立ちが漢民族と多少異なるような気がするだけで、皆さん、洋服を着ているので、ここも少数民族の街という感じはしない。
    そして、ここで有名なのが、お茶。プーアル茶です。
    僕もお土産として、プーアル茶を買って帰るつもりです。

     さて、その前にやらなければならないことは、宿探しと地図の入手です。
    宿は、バスターミナル横の交通賓館が50元だったので、チェック・イン。
    中国の宿には、だいたいお茶とお湯が付いていますが、ここのお茶も、もちろんプーアル茶です。
    プーアルの街の地図は、探し回ったが、どこにも売っていなかった。(没有らしい。)

    (左)移動中の風景 (右)プーアルにて

    地図がないので、自分が通った道を忘れないように歩いていましたが、やがて、そんなことはどうでもよくなり、しばらく歩くと、町外れにたどり着いた。
    ここからは、もう郊外です。街は、古い民家は取り壊されていて、新しいコンクリートの家が建設中だったりと、どこも同じような風景なのですが、ここは土の壁に瓦の屋根。水牛ものんびりと田圃を歩いている。
    もう少し歩けば、丘の上に集落がいくつかありますが、もう夕方なので、また明日にしようと、僕は再び街へ。

    プーアルの街は、街の中心と思われる、十字路の中央に信号塔が建っていて、その十字路沿いには四角い、コンクリート造りの店舗をかねた家が建ち並んでいますが、そこから裏通りへ入れば、郊外と同じような家が立ち並んでいる所もありました。
    もう数年、ここに来るのが早ければ、歩きがいがあったのにと、写真を撮っていると、「○×●△○×●△!!」と、オバハンにおもいっきり怒鳴られた。
    中国の人は、他人に写真を撮られるのは、嫌いだと言うことは、以前の旅で身をもって知っていたのですが、そんなに怒鳴らんでもエエやん。まぁ、一眼レフは威圧感があるからね。

     翌日、小さなカメラを持って、僕は昨日行ってみたいと思った、郊外の集落へ行くが、ここでは、街以上に僕は注目の的。誰もが警戒心をギラつかせ、冷ややかな視線を僕に浴びせる。
    よそ者なのは最初からそうだが、大人達は寄ってくることも話しかけることもなく、何やねんコイツ。と言う感じで、まるで嫌なものでも見るかのような視線と態度。
    子供が一度だけ、寄ってきてくれましたが、この集落には、これ以上、立ち入れない空気感が漂っていたので、後は犬に吠えられ、ビビリながら退散。

    それにしても、ここまでよそ者やカメラに対して、嫌悪感を抱かれると、僕が、悪者のように自分でも思ってしまいそうだ。
    まぁ、他人に写真を撮られるのが、嫌いだ。という気持ちは、理解できないことはないが、露骨すぎる。
    プーアルは僕が、いままで中国を旅してきた中で、一番写真が撮りにくかった街です。

    僕は、もう写真を撮ることは諦めて、バスターミナルの通りの、たくさん立ち並んでいる、お茶屋の中の一軒に入り、お土産のプーアル茶を買い、バスターミナルで、次の目的地、玉渓行きの切符を買った。

    プーアルにて




    戦争が始まった〜玉渓にて〜

     プーアルには中国銀行がなく、両替が出来なかった僕は、昆明の手前の街、玉渓まで行くことにした。
    途中の少数民族の街、墨江や元江にも寄ってみたかったのですが、現金が少ないし、こういう小さな街には、中国銀行がないと思われるので、中国銀行がある街、玉渓へ行きます。
    もう少し、昆明までの道中、いろんな田舎の街へ行ってみたかったのですが、しょうがない。

     本日の朝食は、プーアルへ来て初めて食べた、過橋米粉を昨日の朝と同じ店で食べた。
    黒い鶏肉が入っていて、とてもおいしかった。(3元)
    そして僕はリュックを背負って、隣にあるバスターミナルへ。
    どのバスに乗っていいか迷いましたが、係りの人が親切に教えてくれて、そのバスに乗り込み、バスは予定よりも5分早い、午前8時15分に玉渓へ向かって、走り出した。

     バスは、いつものようになんでしょうか?雲南の細い山道をチンタラと走っております。
    こんなペースじゃ、いつ着くことやら、少々不安です。
    そして出発してから、5時間半後の午後1時45分に、バスは墨江バスターミナルに到着して、このバスターミナルの食堂で、バス代に含まれていた食券をもらい、俺は草食動物か!って言うような、飯を食べた。

    バス代に昼食券が含まれていたなんて、全く知りませんでしたが、ありがたくもない食事だった。
    5時間半もかかって、まだ半分ちょっと手前の墨江です。
    雲南省の道路は、山道で細く、しかもカーブが多いので、スピードが出せません。
    ほんと、いつ着くことやら、ますます不安。

    墨江バスターミナルからは、たくさんの人々が乗車してきて、僕の隣の席にも、兄ちゃんが座ってきました。
    僕は、この兄ちゃんの、アル部分が非常に気になったので、ジロジロと見てしまう。
    この兄ちゃん、髪型もビシッと決めて、ジャケットも着ていて、ちょっとカッコつけてんのに、何故か?ズボンのチャックが全開です。

    本人も気が付いているはずなのですが・・・直そうとはしません。
    何故?「中国の常識は世界の非常識」と言うくらいですから、もしかしたら、このチャック全開が、彼の最新ファッション!?
    いくらなんでも、それはあり得ない。と僕は思いたい。

    相変わらずバスは、細い道をダラダラと走っている。対向車が来るとスピードを落とし、しかも、カーブで故障している車もあり、大迷惑!周りのことを考えろ!ちゅうねん。
    それから、窓が閉め切られている、エアコン車では、煙草を吸うな!ツバ吐くな!
    何回、係員に注意をされたら分かるねん!数人のオヤジ達。ぶっ殺す!

    (左)移動中の風景 (右)玉渓市場

     やがてバスは、元江を通過し、北元江からは、今までの遅れを取り戻すかのように、出来たての高速道路をぶっ飛ばし、快調にバスは走る。
    そして、プーアルを出発してから、11時間後の午後7時15分に、玉渓南バスターミナルに到着した。
    で?南バスターミナルって何処やねん?僕が持っている地図には、そんな場所は記載されていません。
    もしかしたら、地図外ってこと?そういうことならば、街中までは、かなり距離があるってことか。

    日はもう暮れかかってきている。
    玉渓は、特に行きたいとは思っていなかった街なので、有り金をはたき、もう一度バスに乗って、昆明へ行ってしまおうか?と考えていると、またもや、係りの人が、タクシーに乗って、あー行って、こー行ってと、嫌がる僕の表情を察しすることはなく、僕はタクシーに乗せられた。

     とりあえずは、ガイドブックに載っている、一番安いホテルへ行くが、1泊=120元は、今の僕には、とうてい手の届かない金額なので、トイレだけを借りて、ここを後にした。
    もう街中まで来たので、なんとかなるだろうと思い、歩いて繁華街と思われる通り、玉江西路を歩いていると、いくつかの旅社の看板が目に入ったので、一番近くにあった、新穎旅社へ。
    言葉が全く通じず、受付の二人の女性も無愛想極まりない。
    8人部屋ドミトリーが1ベッド=5元なんてありましたが、僕は40元の豪華単人房へ。
    チェック・インの時、パスポートを提示し、僕が日本人だと解ると、受付の二人の女性の態度が180度変わり、とても愛想が良くなった。
    中国人にはさっきのような態度を取っていたのかと思うと、この変わり様は、僕としては、ありがたいです。

    押金(前金)も30元だったので、所持金に多少は余裕が出来たので、
    夕食は、歩行者天国にあるケンタッキー。中国安食堂も飽きてきていたので、タイのチェン・マイ以来のファースト・フード。たまにこういうのを食べると、とても美味しく思う。

    朝の新興路

     食後は玉渓の街を少し散策。
    古い町並みが残っているところもあり、そこには夜市が開かれていた。
    裸電球に照らされた、商品や屋台の食べ物。回族の店も多いので、ここはイスラム教の人も多いのだろう。
    玉渓に来たことを最初は、後悔していましたが、街を歩いていると、歩行者天国あり、夜市ありで楽しい。

     宿へ帰り、テレビをつけると、ニュースで戦争が始まったことが報じられていた。
    2003年3月20日。日本、中国から遙か西の国で今後、日本や他の国を狂わせる要因の一つになる、アメリカ・イギリス軍とイラクとの戦争が始まった。

    この戦争が始まる前に東南アジアにいた僕は、以前の旅行とは、少し違った光景を見ていた。
    欧米人の中に、衣服やリュックに国旗のワッペンを付けている人達が、とても良く目に付いた。
    彼等は、戦争を起こす、二つの国の人と間違えられたくなくて、それを付けていて、アメリカの隣国のカナダの人達が、特に多かったのですが、この行為は彼等にとっては、反戦の意味もあったと思う。
    もちろん僕も戦争には大反対だ。

    文化や価値観が多様なのが、世界の良い所だと思うが、アメリカの一方的な価値観の統一、自分勝手な世界平和の解釈が、この戦争を含めた、多数の戦争を引き起こし、世界中の人々を苦しめた。
    国と国、人と人が付き合うのには、相手を理解する気持ちが大事だと思う。
    相手を思いやる気持ち。愛おしいと言う気持ち。
    こんなことをしても、新たな憎しみや怒りを生み出すことは、もう解っているはずだ。
    それを自国の利益のために、大義名分を用いて、このようなことを始めた、アメリカに世界のリーダーシップを名乗る資格はないし、いつまでも勘違いして欲しくはない。

    さて、僕の旅はというと、明日はいよいよと言うか、やっと昆明へ。