ホイ・アン ナイト

     今日は朝7時半には、宿を出てホイ・アンを観光していた。
    ホイ・アンはかつて、中国と西方諸国を結ぶ、海上交易の中継地点として栄えた街であり、江戸時代には、日本の貿易商人も訪れるようになり、日本人街も形成されていたという。
    現在は日本人街の面影はなく、その後の華僑によって作られた町並みが残されています。

     僕は観光地となっている古い民家を中心に見て回っていた。
    タンキーの家、フン・フンの家、チャンフー通り77番の家、日本橋(来遠橋)そしてホイ・アン歴史博物館。
    民家は、日本家屋の影響を受けているものもある。と書いているが、俺には、日本風と言うのが、何処をさしているのかは、分からなかった。
    ホイ・アンは狭いので午前中のうちに、見たいと思っていた所は全部見ることができた。
    あとはブラブラするだけです。(日本橋ではチケットを見せることもなく、勝手に行き来してました。)

     ブラブラしていると、今朝出会った、ブサイクな女がボートに乗らないか?と誘ってきました。
    俺はあなたとは乗りたくないので、断ったが、しつこい。ほんまウットーシー。
    ボートに乗るのは、嫌じゃないけど、コイツは嫌だ。
    しかも30分で50,000VND。高い!高い!と言うと30,000VNDになった。そして乗ってしまった。
    ボートは沈みそうやし、ブサイクな女はあつかましくも俺に日本のコインをくれなどと言うので、1バーツをあげて「1ダラーsame」と言ってやった。
    コイツはふてくされてさらにブサイクになった。
    このクルージングは30分ほどだったが、乗るんじゃなかった。楽しくなかったです。

    左:日本橋(来遠橋) 右:散髪屋にて

     次に登場したのが、床屋のおっちゃん。
    おっちゃんはハサミをシャキシャキさせながら俺の前に現れた。「兄ちゃん、髪の毛切れへんか?」
    俺はそのパフォーマンスに感激し、髪の毛を切ることにした。(15,000VND)
    おっちゃんの腕がなり、ハサミがシャキシャキなる。とってもリズミカルに髪を切る、おっちゃん。
    オッ!なかなかええやん。いい感じになりました。
    しかし、服や首筋に髪の毛がひっつき、気持ち悪い。
    暑かったので、ちょうどいい。シャワーを浴びようと思い、ホテルへ戻った。

     昼からは日本橋(来遠橋)の方へ行ったが、暑い。とても暑い。北から来た俺にはこの暑さはこたえました。
    観光客、ベトナム人もこの暑さには耐えれないのか、日本橋には誰もいません。
    俺も土産屋の軒先に座り込み、ボケッとしています。ボケッとすること30分。
    あまりにもヒマなので、日本橋のスケッチでもしようと思い、はがきに描き始めた。
    すると、土産屋のおばちゃんがこれで描きなさいと紙をくれた。
    暑さに耐えきれず、ダラダラと描いていると、おばちゃんが笑いながら「same、same」と言う。ハッキリ言ってバカにされたので、
    ちゃんと描いたんねんと気合いを入れて描きだした。

    たくさんのベトナム人達が、入れ替わり、立ち替わり見に来ます。そして3時間半後に完成。
    その間に日本人旅行者の青年と出会い、二人で話しをしていると、昨日ダー・ナンで出会った女の人とバッタリ会い、夜にみんなで飲みにいくことにした。
    俺はいったんホテルへ戻り、明日のバスの時間を早朝から夜に変更してもらった。

     待ち合わせの場所までギャラリーを見ながら行くと、一時間も早く日本橋に着いてしまった。
    ダー・ナンで会った*hiroさんも一時間、時間を間違えて来てしまったので、二人で市場に行きブラブラ。
    そして川沿いの店で食前酒などと言いながらビールを飲む。7時になり待ち合わせ場所へ行くと、yuki君がホイ・アンで出会ったyouさん、俺、hiroさんの4人で、またビールを飲む。

    ホイアンにて

    旅の話、日本でのこと、これから行く場所などを話をし、おおいに盛り上がった。
    店を変え、ここでも安宿のことや、これからのことなどを話、*「アイウエオ」と従業員に言ったりし、従業員をも巻き込み、またまた盛り上がりました。
    ホイ・アンはもうすっかり闇です。まだ11時なのに。
    こうしてホイ・アン ナイトは過ぎて行き、お別れの時がやってきました。

    俺は明日、ニャ・チャンへyuki君は明日、フエへとそれぞれ行き先が違う。
    日本で生活していたら絶対に会うことが出来ないような俺ら4人。
    異国の地でこういう形で出逢い、酒を飲み、語り合う。
    本当に楽しかったです。ありがとう。
    お互いにこらからの旅の安全を願い、俺達は別々の道を歩き、ホテルへ帰った。
    しかし、ホテルの門は閉まっていた。開けてくれー。

    *私以外の日本人の人名はすべて仮名です。
    *アイウエオと言うとベトナム語のアイ・ニュウ・エン(I LOVE YOU)と似ている。




    デンジャラスなバス(ホイ・アン〜ニャ・チャン)

     ホイアンの街を今日もブラブラ。ホイアンは狭いので昨日行った所など
    同じ所をよく通る。何でか知らないが、ここは画家が多いのでギャラリーがたくさんあり、それらの作品を眺めるのも楽しい。
    僕は昨夜、お酒を一緒に飲んだ、hiroさんとyouさんと待ち合わせをしていたので、公園へ行き、3人でベトナムの氷菓子チェーを食べ、そしてお別れ。
    ホー・チ・ミンでまた再会できれば、いいですね。

     ニャ・チャンへ向かうバスは、午後7時に出発予定だ。
    僕は30分早く、宿に戻り、リュックを背負い、宿の人とも別れを済まし、バスが来るのを待った。
    バスは30分送れてやって来て、PM7時30分に出発。僕はホイ・アンからニャ・チャンへ向かった。
    この移動は今回の旅の中で一番、大変な移動だった。
    見た目は、少しボロイが普通のミニバスでしたが、道路状況が悪いのも重なり、
    次第にバスの欠点が露出して、やがて恐怖のバスと変貌していった。

     俺はバスの後方の窓際席に座った。俺の後ろには、吸いすぎで飛んだフランス人カップル。
    デブのスイス人は座席に座ることが出来ず彼女と別れ助手席へ。
    もう一人の日本人旅行者のmasaさんは、俺より前の席に座っている。
    俺の前には、ガイドブックとにらめっこしている韓国人の青年が座っている。
    その他にも欧米人十数名が、このバスには乗っている。

    ホイアンにて

    そして世界各国の旅行者を乗せたバスが走り出した。
    確かA/Cバスだと聞いていたが、車内は暑い。頭上のA/C噴出口を見てみたら、そんな物とっくに壊れていて、穴が二つ空いていた。
    その穴からは、砂埃が入ってくるという、元エアコンバスだった。
    最初の内は夜の移動も悪くはないな、一泊うくし得した気分だったが、このバス内で寝るのは不可能だ。

     最初の内は普通の道だったが、30分も走らないうちに、道路はデコボコの穴だらけに変わってしまい、バスが穴に入ると、俺のケツが宙を舞う。そしてバスがきしむ。
    俺もこんな悪路はちょっとだけやろと思っていたが、甘かった。
    1時間たっても2時間たっても悪路のままだった。
    そしてこの悪路にバスは耐えきれるのだろうか?

     またバスが穴に突っ込んだ。(いつも突っ込んでる)そしたらバスの扉が”バタン”と開き、欧米人の誰かが「Stop!」と大声を出した。

    ホイアンにて

    俺は誰か落ちたのか?と思ってしまったが誰も落ちていなくホット一息。
    それからこのドアは穴に突っ込むたびに開くようになり、バタン!バタン!と音を立てるようになった。
    次は、穴につっこむ回数に、後方の窓ガラスが耐えきれなくなり、
    後方の窓ガラスに亀裂が入り、穴に突っ込むたびに亀裂が拡大してゆく。
    前の人達は気づかないが、飛んだフランス人カップルも、正常な状態に戻すほどであった。
    それにしても夜空はとても星がキレイだった。
    そしてケツが痛い。

     欧米人旅行者が運転手にデンジャラスなバスだと文句を言っておりましたが、
    別に運転手が悪いわけではない。道路が悪いのだ。そしてこのボロバスが悪いのだ。
    運転手は一応は、穴を避けるように走ってはいるが、穴の数が多すぎて、一つ避けると、次の穴へドボン!って感じです。
    バッタン、ガッチャンと。みなさん眠ることが出来ず疲れた表情のまま朝を迎えた。
    このころにはトラップのような悪路もだいぶマシになり。俺も少し寝る。
    しかしほとんど眠れないままAM7時にニャ・チャンに到着。

     みなさん、やっとバスから解放されたことに喜ぶこともなく、疲れ切った表情のまま、バスから降りていった。
    ニャ・チャンの空には、白い雲と青空が広がっており、今までのことが、ウソだったかのような気持ちにさせるほどの快晴でした。
    こうして11時間のバスの旅は終わりを告げた。