首都、プノンペン
カンボジアの首都、プノンペンは、かつては”東洋のパリ”とまで称された美しい街だったらしい。
しかし、1975年ポル・ポト派の入城で、街はゴーストタウンと化してしまった。
その後、内戦などもあったが、2001年5月現在は、夜こそは緊張感に包まれているが、日中は、人々がガヤガヤ、ザワザワと行き交う、賑やかな街です。
目が覚めると、朝の7時だった。結局いつも通りよく眠っていた。
しかし、この部屋にはこれ以上いたくはなく、朝飯を食べた後、次のゲストハウス探し。
一緒にカンボジアに入国したnagy君に教えてもらった(彼も泊まっている)
ゲストハウスを見に行ったが、同じ値段(US4$)でこれほど違うのか!と驚いてしまった。
最近出来ただけあって、Fanもでかくて、床、壁、キレイです。
さっそくキャピトルへ帰り、チェック・アウトをして、『HONG PHANN GUEST HOUSE』にチェック・イン。
さっそく、シャワーを浴びて、洗濯をして、お出かけ。
キャピトルをチェック・アウトはしたが、プノンペン観光の拠点には、ここが便利だ。
1階のレストラン前ではバイタクが、俺にしな!俺にしな!と言い寄ってきて、金額がどんどん下がってゆく。
歩いてでも行けるが、トゥール・スレン博物館には1,000リエル(US1$=約3,800Rielリエル)で行けた。
ここはポル・ポト派時代、とても惨くて、残酷な出来事があった所だ。
元々高校だった校舎を監獄として使用していた所である。
監禁され殺された部屋にベッドと拷問の道具が置いてあり、壁には処刑したときの写真があった。
それと独房は、教室に無理矢理に壁を作って、一畳くらいのスペースがいくつも作り、各部屋には足かせがあった。
それとこれが一番ショッキングだった。
殺される人達の顔写真。彼らの目は何で俺が、私が殺されるんだ?俺が何したと言うんだ!という目や、あきらめた目。
そこにはまさに”死のポートレート写真”が壁一面に貼っていた。
最後はカンボジアの国土が骸骨で埋め尽くされた地図。
これが地獄と言うものなのか?
外に出ると穏やかな太陽と空がここを包んでいた。
その後、国立博物館へ行きカンボジアの仏像などを見学。
カンボジアも戦争さえなければ、すばらしい文化財大国だったのに。
ここを後にし、トンレサップ川沿いの道を歩き、ここの川沿いの食堂で昼食。
少し値段が高かったが、味は微妙で、ウマイのかマズイのか。
この後ボートにでも乗って、遊覧しようかな?と思ったが、食後の俺には耐え難い臭いだったのでパス!
そんなら、シルバー・パコダに行こう!と思い、トボトボ歩いていると、
日本語を話すバイタクのおっちゃんが、「2時まで閉まっている。」と言う。
ほんまかいな?ガイドブックで調べると、そう書いてあった。
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国立博物館
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シルバー・パコダ(王宮)
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あと2時間どうしよう。おっさんがヒマやったらキリング・フィールドに行かないか?と誘うので、ヒマなので行くことにした。(往復でUS7$で行ったが、だいたいUS2$〜3$が相場です。)
片道30分かけて行ったが、土埃のせいで顔が真っ黒。
祠のような建物の中には、頭蓋骨がビッシリと積み上げられていた。
そして、周囲の大きな穴は、積み上げられる前の頭蓋骨が埋まっていたと言う。
想像すると、ゾクッとしてしまいますが、特に見所はなく、5分ほどしかいなかった。
帰りも30分かけて戻り、プノンペンのまさに「ヘソ」セントラル・マーケットへ行き、カンボジアPOPSのCDを2枚購入。
明日もここに行く予定なので、足早に見て回り、シルバー・パコダへ王宮です。
ここは、騒がしい街中にあってとても静かで、ゴチャゴチャした街中と違ってキレイです。そのうえ広い。
しかし!暑い。もう太陽を浴びまくり。外にいるよりも部屋の中のほうが冷たくて、気持ちいい。
仏像が置いてある部屋に扇風機があって、ちょっとそこに長居をしたり、広くて静かな王宮を散策した。
気持ちがよいほど、居心地が良かったので、
バイタクとの待ち合わせの時間もオーバーしてしまった。
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キリングフィールド
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今日は色々と観光をしてしまった。
夕方、キャピトルに帰ってくるとnagy君とAnoさんがいたので
「今日はどこにいってたん?」などと話、そのあと、僕はいったん部屋へ帰った。
夜になり、晩飯を食べようと、キャピトルの1階のレストランへ。一人でビールを飲みながら、飯を食う。
そこにnagy君とtomy君がやって来て、男同士のお決まりの会話。
男だけって言うのも、たのしいネー。ハッハッハ!
9時過ぎにここを後にして、部屋へ。明日はどんな事がおこるんだろう。
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