12月28日(月)
ラサから成都に戻ってきた翌日、僕は、康定へと向かった。
午前9時過ぎに出発したバスは、途中、事故のため、1時間弱ほど停車したが、午後4時半頃には、康定のバスターミナルに到着した。
康定は、チベット名では、ダルツェンドと言い、四川省カンゼチベット族自治州の州都に、なっています。
ここの標高は、約2500m。
僕が、康定に来るのは、2003年、2004年と今回で3度目だ。 (2003年と2004年のことは、Asian Diary 2001-2004にて。)
しかし、何処だ、ここは?
バスターミナルに到着したのは、良いが、5年前のバスターミナルとは、違います。
目の前には、見覚えの無い、建物が建ち並んでいる。
きっと、街が、拡大したんだと思いますが、他の街に来たみたいだ。
とりあえず、リュックを背負い、所々が凍った、通りを歩く。
康定の街は、ラサよりも標高は、低いが、とても寒い。ラサよりも寒いです。
新しく出来た建物は、食堂やホテルが多く、客引きも多いが、全部断る。
もっと、街の中心へ行かないと。
10分か、15分ほど歩いただろうか。
やっと、記憶にある建物が見えた。
懐かしかった、バスターミナルは、廃墟と姿を変え、みんなで映画を見た食堂は、姿を消していた。
宿は、2003年にも泊まった、康武賓館。詳しくは、のちほど。
部屋は、それなりに古くはなっていたが、眺めは良いです。
今回の旅は、貧乏旅行じゃないので、結構良いところに泊まってますが、安宿に泊まって、風邪引くのも、アホらしいので。
部屋から、ラサで買った、インスタントコーヒーを飲みながら、外を眺めた。
2003年に、ここに来たときは、川沿いの谷間にできた、小さな街でした。
街全体を歩いて周れるくらい。
2004年に来たときは、街は、少し大きくなっていて、建設中のホテルが多かった。
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(古いバスターミナル)
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(新しいバスターミナル)
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そして今回、なんじゃ、ここは!ってくらい、街が拡大している。
高層建築とまでは、言わないが、それなりの大きな建物もあり、立派な都市に変貌した。
たった5年で、ここまで変わるか!
宿を出て、ローライ35Tを持って、街を歩く。
5年前のバスターミナルは、廃墟になっているが、中心部は、これまた大きく変わっていた。
ハンバーガー屋(dicos)は、あるし、しゃれた服や靴などのお店が、たくさん。
橋も大きくなっていて、そのうち、川を覆うんじゃないでしょうか?
中国人なら、やりそう。
それと、5年前には、おばちゃんたちが、洗濯し、野菜などを洗っていた泉が、消えていた。
正確には、消えては無いが、整備され、変な像が立っていて、マニ車が置かれている。
そして、小さくなった泉は、それらの行為が禁止されていた。
なんか、これを見た瞬間、悲しくなってきた。
何で、こんなことをするんだろう。
皆の憩いの場だった、泉を。。。
なんで、邪魔するのだろう?
観光?街の景観?
ただ、文化を壊しただけだ。
夕食は、宿近くの食堂で、砂鍋豆腐(豆腐鍋)です。
それに、白飯を付けて、19元。
おばちゃんに、お勧めは?と聞くと、砂鍋豆腐だったので、これにしました。
具材は、わかめ、もやし、豆腐、ソーセージ、ねぎ、白菜、マロニー?、しょうが。
とても、ヘルシーで、味付けも薄味で、美味しいです。
でも、ちょっと量が多いわ。
スーパーで、白酒、おつまみなどを買って、宿へ。
中国でも、袋は要りますか?なんて、聞くんだ。
成都でも、聞かれたけども、まさか康定でも。
これからは、エコバック持参で、旅をしましょう!
康定の街は、ラサほど、中国人に対しての嫌悪感は、ない。
この地が、もともと、中国、チベットの交易の街だったからでしょうか?
部屋戻り、お金を見てみると、結構、ヤバイかも。
ギリギリかもしれない。
800元、おろしたから、余裕かましてましたが、成都の宿代、交通費、ここでの宿代、食費、
帰りの交通費など、足りるかどうかって、感じだ。
そして、いまさらながらに、気が付いた。。。
確か、康定では、両替が出来ないと、いうことを。。。
しまった!お金が無い!
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○康定のお宿
康武賓館 1泊=120元(値段交渉可 翌日は、100元になりました。)
ツイン、ホットシャワー、和式風トイレ、電気ポット、TV、A/C 付き。
高い階は、眺めは良いが、エレベーターが無いので、上り下りがツライ。
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