戻ってきたカトマンドゥ

    寒さのため、あまり眠れなかったが、午前6時半には、起き、コンタクトも入れること無く、メガネをかけたまま外へと出た。
    朝焼けを見るには、ちょうどいい時間かもしれない。

    カーリー寺院まで行けば、絶対にキレイなヒマラヤ山脈の朝焼けが、見られるのでしょうが、そんな時間は、もう無いし、そんな気も無い。

    俺が選んだ場所は、宿から、ほど近い所にある、バスターミナルだ。
    ここは、コダリ方面、チベットへ向かうバスのチェックポストにもなっている。
    この道路の先は、チベットだと思うと、懐かしい。
    ここからなら、電線が邪魔だが、まあキレイにヒマラヤ山脈が、見えます。

    「あー、やっぱキレイやな、ヒマラヤ。」なんて、眺めていると、山々の頂近くの雪の表面に朝日が当たり始めた。
    朝日が当たっているところが、徐々にオレンジ色へと染まってゆく。

    ナガルコットからの方が、風景を遮る電線もなく、キレイに見えたけども、ここからでも十分に奇麗だ。
    しばらくの間、オレンジ色に染まるヒマラヤ山脈を眺めていましたが、身体が、冷えてきました。
    ブランケットを羽織っているが、寒い。

    バスターミナルの近くには、売店、食堂、チャイ屋と店がありますので、チャイ屋に入り、チャイをいただく。
    温かくて、甘いチャイは、身体を温めるのに、もってこいの飲み物だ。
    チェックポストで検問をしている、警察の人たちも、合間を見つけて、チャイを飲んでいます。
    昨日もこの店に来ましたが、昨日は、30Rsだったチャイが、今朝は、20Rsだった。
    10Rsボラレてたわけか。


    チャイを飲み終えた俺は、再びチェックポストへ行き、ヒマラヤを眺める。
    側にいた警察の兄ちゃんが、山の名前を教えてくれたが、すぐに忘れた。
    なんて言う名前やったっけ?一番キレイな山やったのに。

    ちょっと名残惜しいが、十分に見ることが出来たので、宿へ戻って、出発の準備だ。
    カトマンドゥへ戻ろう。

    朝食を食べ終え、宿をチェック・アウト。
    宿のすぐ側には、丘が削られて広場がありますが、そこが、カトマンドゥ行きのバスターミナルになっています。
    バスターミナルには、すでにバスが数台、停車しておりますが、エンジンがかかっているバスは、たったの1台。

    俺は、そのバスへ行き、バスの集金係なのか?アシスタントなのか?そんな、兄ちゃんに「カトマンドゥ?」と尋ねると、

    「カトマンドゥ!」と返事が、返ってきたので、バスに乗り込み、席へ着く。
    リュックは、膝の上に乗せた状態だ。

    「カトマンドゥ!カトマンドゥ!」と兄ちゃんが叫び、バスは、出発。
    ドゥリケルから、カトマンドゥまでは、約2時間弱。
    カトマンドゥに着けば、旅の前半が終了だ。

    それにしても、狭い。

    大勢の乗客が乗り込んだバスは、一人当たりの座席スペースが、ものすごく狭い。
    そんな中で、リュックを膝の上に載せている俺は、ほとんど身動きがとれません。
    隣りに座っているオッサンも窮屈そうな、表情を浮かべている。

    しかし!この後、さらに悲惨な状態に俺は、向き合わなければならなかった。


    バスは、10分ほどで、バネパと言う街に到着した。
    ここで、乗客の大半は、入れ替わるのだが、俺の隣りに座ろうとしているのが、
    かなり横幅があるオバちゃんであった。

    おいおい、オバちゃん。
    自分の体型と、座席のスペースを比べてご覧?
    こんだけの幅に、そんだけの幅が、入るかい?
    いやー、無理、無理。絶対に無理!

    しかしだ、このマツコデラックス似のオバちゃんは、自分の体型を自覚していないのか?
    今、まさに、不可能に挑戦しようと、前後の座席に挟まれながら、身体を揺すり始めました。

    座ると言うか、ねじ込むように、プチ・マツコデラックスは、座席に身体を委ねる。
    生暖かく、波打つお肉が、俺の左太ももにも当たり、グリ!グリ!という感じの痛みが、俺の左太ももから発生。
    プチ・マツコデラックスの右側のケツと太ももが、俺の左太ももに、乗っかっております。
    身が挟まるような痛み。
    「イタイ!イタイ!」と日本語で言うが、伝わらない。

    元々窮屈な座席で、デブ特有の圧迫感が密着している。
    デブは大嫌いです。

    この状況から逃れられず、身動きが全くとれない俺を乗せたバスは、再びアルニコ・ハイウェイを走り出した。

    このアルニコ・ハイウェイと言う名の道路は、日本の援助で造られたのだろうか?
    何回か、日本の国旗が描かれた看板を見たし、それに信号機なんかも日本の物とそっくりだ。
    アスファルト道のフラットさなんか、ネパールの人たちの仕事だとは、到底思えない。


    ちょっと気になっていたので、帰国後、アルニコ・ハイウェイのことを調べてみました。
    この道路は、他に『アジアハイウェイ42』や『カトマンズ-バクタプル間道路』などと呼ばれていて、
    日本が資金援助、技術援助をして造られた道路だ。
    そして、2011年に完成したらしい。

    僕たち、日本国民の税金が、こんなところで、人々の生活を豊かにするために、使われていたなんて、

    日本人は、ほとんど知らないと思います。

    日本政府やマスコミは、国民の税金が、こんなところで、使われていると言うことを日本で、

    ちゃんとニュースや新聞で大きく取り上げて、国民に伝えるべきだと思います。

    私たちのお金が、こういう風に生かされ、誰かを幸せにしたということを。
    失態ばかり報道しても、誰も幸せには、なれない。

    プチ・マツコデラックスとバスの車体に身体を挟まれている俺は、しばらくの間、苦痛に耐えることとなったが、

    バスがカトマンドゥの街に入ったあたりで、やっと解放された。

    ふっー!暑苦しかった。

    街へ入ると道路は、大渋滞。
    一向にバスは、進みません。
    しびれを切らし、次々とバスを降りてゆく乗客達。
    俺も、このとき降りていれば、後から、そんなに歩かなくても良かったのに。。。

    結局、終点のシティーバスパークまで、バスに乗っていた。
    やっと着いたぜ!カトマンドゥ!