ダルツェンドでの休日

     早朝5時30分に目が覚め、そして準備をしていると、ドアをノックする音。
    昨日、宿のオッチャンに、次は康定(ダルツェンド)に行くと、言っていたので、宿のオッチャンは、僕が寝坊しないように、わざわざ起こしにきてくれたのだ。謝謝!
    僕は、ジャージを脱ぎ、モモヒキを履き、靴下をもう一枚履き、ズボンをはき、ジャンパーを着て、準備完了!そして6時過ぎには、宿を出た。

     明け方にはまだ遠く、夜と言った方がいいような空の元、僕はバスターミナル前に止まっているバスに乗った。

    バスは黒と紫色のグラデーションの空の中、小さな街、理塘をグルグルと回り、客を乗せてゆき、午前7時には、理塘を後にして、康定へと向かった。

     僕は、窓側の席に座って、いつものように景色を眺めていたが、隣には珍しく、日本人らしき旅行者が座っている。僕は、隣に座っている旅行者が、何人なのか、気になり、「こんにちは。」と日本語で声をかけた。
    そして、「こんにちは。」と返事をしてくれた彼と、僕はこの移動中、ずっと話をするようになった。
    tosoさんは、東南アジアとチベット文化圏を旅しに来ていて、荷物は僕よりもかなり大きかったのに、最初は驚いたが、写真を撮りに来た。とのことで納得。

    tosoさんは、チベットのことを勉強して来ているようで、彼は僕に、ダッパ、リタンのある地域、カム地方のことをいろいろと教えてくれた。

    カム地方が、チベット自治区のラサよりもチベット色が強いことや、カムパ(カム地方の男)と呼ばれている男達が、中国政府に対して、最後まで抵抗していたことや、ダライ・ラマがインドへ亡命する際に、中国軍から守ったことなど、僕が知らなかった事を、たくさん教えてくれました。

    そして僕が、「今、自転車でラサを目指している旅行者がいる。」と話すと、「もしかして、岩崎さん?俺、ラオスで会ったし、同じ部屋で寝たよ。」と言うではないか!
    お互いに、知っている人の名前が挙がり、その後は岩崎さんの旅の話やカメラ、写真の話で盛り上がった。

    僕達が話をしている間もバスは、標高をグングンと上げ、4,700メートルの峠を越えた。
    僕の今回の旅で一番、標高が高かったのは、この4,700メートルです。
    山々は相変わらずキレイですが、少々、見飽きております。

    (左)ダルツェンドへ
    (右)ダルツェンドの街の様子

     そしてバスは、午後4時頃にやっと、康定(ダルツェンド)の街にさしかかったところで、渋滞に巻き込まれた。

    原因は、なんだか分かりませんが、バスに乗っている乗客は次々と、「待ってられるか!」って感じでバスを降りて行ってしまいましたが、僕とtosoさんは、現在地が把握できていないので、もう少し待っていることにしたが、バスは、いっこうに進まず、僕達も、ついにはバスを降りることにした。

    バスを降りてから、20分ほど歩くと、谷間の川の周囲に這いつくばっているような、街中にたどり着いた。
    ここがチベットと中国とのかつての国境の街、ダルツェンドのようだ。
    tosoさんは、これから郊外の温泉へ行くと言うので、僕達はここでお別れ。
    僕は、tosoさんから教えて貰った宿へ行くが、安い部屋は、すでに廃止されていたので、ここを諦め、宿探しに、時間を費やすことに。

     康定では、多分、何の情報も無いが、両替が出来ると勝手に思っているので、月曜日になれば、なんとかなるだろうと思い込み、僕はちょっとリッチに90元の宿へチェック・イン。
    久しぶりに、キレイな宿だ。お湯もちゃんと出るし、ベッドはフカフカ。
    そんな宿で僕は、9日ぶりに、シャワーを浴び、思う存分に身体を洗い、そして、フカフカベッドで爆睡。

     そして翌日、この宿にもう1泊したかったのですが、僕の懐具合がそれを許さなく、また宿探しに奔走し、30元の旅社へと移動した。
    宿探しをしていた午前中、僕はそれと平行して、街散策などをしていましたが、康定の街は、チベット人も多いが、漢民族も多く、街の造りも中国の地方都市って感じだ。
    街中に近い、山の山頂には、展望台みたいなのがありますが、観光地らしき場所などは特になさそうなので、あまり出歩く気にはなれず、今日は、旅の休日にしようと僕は、半地下になっている1階の部屋で日記を書いていた。

    ダルツェンド(康定)の食堂にて

     僕が日記をほぼ書き終わった頃に、ドアをノックする音がして、ドアを開けると、ここの従業員の女の子二人が、外国人の僕に興味を示し、好奇心で来たようである。
    最初、この旅社は、外国人の僕に対して、宿泊を拒否していたが、宿主と従業員で話し合い、宿泊できるようになったから、ここは、外国人が泊まってはイケナイ宿だったようだ。
    そんな宿に、外国人がいるのだから、この二人にとっては、僕は珍しい客なのでしょう。

    17才のチベット人の二人は、僕にいろんなことを聞いてくるし、僕もいろいろ教えてもらった。
    日本はどんな国なのか?私たちは、日本へ行ってみたいが、外国へ行くことが出来ないこと。
    日本の桜の歌を知っているが、桜ってどんな花なのか、教えて欲しいこと、日本のテレビ、芸能人のこと。
    学校では、英語を勉強していて、将来は、英語の先生になりたいこと。
    中国語は苦手で、チベット語で話すことが多いことなどなど、次から次へと、質問がくる。
    僕達の会話は、筆談がほとんどだった。

    更に、昼ご飯を彼女たちにご馳走してもらい、夜まで、彼女たちとお話。
    チベットの踊りを見せて貰ったり、僕が日本の歌を歌ったりと、楽しい一時を過ごすことが出来た。
    チベット文化圏で、こういうコミュニケーションが取れたことは、嬉しかったし、ここに住んでいる人の気持ちを少しだが、知ることが出来た。

     夜には、彼女たちは帰り、僕は夕食を食べに、川沿いに開かれている串焼きの屋台街へ。
    その中の一軒へ行き、店の前に並べられている食材を幾つか指で差し、鉄パイプとビニールシートで造られた簡易店舗へ入り、ビールを飲みながら、焼き上がった串焼きを頬ばり、旅の休日を満喫。

    明日は両替が出来れば良いのですが・・・




    祝!海外初野宿〜成都にて〜

     今日は、待ちに待った月曜日。やっと両替が出来ると思い、僕は早速、2つの銀行(中国人民銀行、中国農業銀行)へ行くが、どちらもUSドルの現金のみしか、両替は扱っておらず、日本円しか持っていない僕は、両替が出来ず、所持金は20元(約300円)のまま。
    成都へ行く、バス切符は昨日、買っておいたので助かりました。

    まぁ、20元もあれば、朝食も昼食も食べることが出来るので、ここで両替が出来なかったことが、現時点での僕に、影響を及ぼすことは、少ない。
    欲しかったチベットのお土産を買うことが、出来なかったくらいです。

     バスの出発は、午後3時30分なので、僕はそれまで特にやりたいこともなく、高級ホテルのロビーにある、フカフカのイスに座り、ピーナッツを食べながら、ガイドブックを読んだり、食堂で3元の拉麺をすすりながら、食堂の人達と一緒に、少林足球(少林サッカー)のVCDを見て、大爆笑したりと、全然チベットっぽくない、時間のつぶし方をしておりました。

     そして時間は、やっと午後3時頃となり、僕はリュックを背負って、バスターミナルへ。
    いよいよ康定(ダルツェンド)ともお別れです。ここも、稲城や理塘のように、メッチャ、チベットなんかなぁーと、思っていたのですが、山間にある中国の地方都市って感じだったので、すっかりヤル気を無くしてしまい、何処にも行っていません。写真も4,5枚しか撮っていない。

     康定バスターミナルにある多数の成都行きのバスは、どれも豪華なバスで、僕は、その中でも特に豪華なバスに乗り込んだ。
    「なんや俺、こんな豪華なバスの切符を買っとたんか。」もっとボロバスにして、浮いたお金で、お土産の一つでも買っておけば良かった。と今更、後悔しても仕方ないことですが、これから起こることを考えると今回は、豪華バスにしといて良かったと、今は思う。

     そしてバスは、豪華バスらしく定刻通りの午後3時30分に出発。
    何時間で成都に着くかは、分かりませんが、8時間くらいだと僕は予想している。
    今から8時間後だと、成都到着は午前0時頃。それくらいの時間に着いたならば、僕はカードを使い、お金を出現させて、宿へ泊まるつもりでいる。
    しかし、午前2時、3時に到着した場合は、お金がもったいないので、朝まで待つつもりでいる。
    僕としては、今回は出来るだけ遅くに着いて欲しいと思っている。

    (左)野宿したベンチ (右)康定での朝食

     そんな僕の願いが届いたかのように、今日の成都行きの全てのバスには災難が待ちかまえていた。
    まず、出発してから1分も経たないうちに、バスは渋滞に巻き込まれた。
    バスターミナルからまだ出ていないバスもある。
    原因は何だか分かりませんが、公安の車がサイレンを鳴らしていたので、事故か?
    康定の街、全てを巻き込んだような、この大渋滞の待ち時間は、ざっと2時間10分。

    バスや普通車の隙間には、いつしか屋台が出現し、車内にいる時間をもてあました人々が、それらの商品を買い求めていた。屋台の人にとっては渋滞は稼ぐチャンスなのだ。
    僕はこの間、車内で上映されている映画を見終わり、外へ出て、タバコを1本吸って、立ちションまでしてしまった。

     やっとバスが動くようになり、これで康定ともお別れと思った矢先!
    今度は道路工事のために、再び渋滞。まだ20分ほどしか走っていません。
    こういう時、片側1車線を開けて、車を通すという対策をとらないのがこの国らしい。
    ここでの待ち時間は1時間。これで成都に到着するのが、単純に考えて、3時間遅れるわけだ。

     バスはすでに夜行バスとなり、山道を慎重に走っている。
    雅安と言う、途中にある大きな街に着いたときには、日付はすでに変わっていた。
    ここからは高速道路なので、早く着いては、困ると思っていたのですが、これまた僕の願いが届いたのか、
    高速道路は事故のため、不通となっていて、デコボコなアスファルト道の下道を通ることになった。
    なんか今日は、ツイテおります。

    そしてバスはようやく、成都の南バスターミナルに到着。
    ただいまの時刻は、午前3時。あと1時間遅く着いていれば、こっちとしては都合が良かったのですが、3時間も遅れたので、良しとしときましょう。

     バスターミナルを出ると、成都の街は、真夜中だけあって、静まりかえっていますが、数えるほどだが、まだ屋台が営業している。
    そこには、たった今、バスを降りた人やタクシーの運チャン達が、たむろしていて、僕にも「今から何処へ行くんだ?」と言い寄ってきますが、「銭、没有(お金無い)」と言うと簡単に引き下がりました。
    「さて、朝までどう過ごそうか。」と冬服が入って、膨れあがったリュックを背負い、僕は川沿いの道を行くあてもなく歩き出した。

    成都の市場にて肉屋

     川沿いの道は、石タイルが敷き詰められており、所々にベンチも設置されているので、この辺のベンチに横になっても良いと考え、もうしばらく歩いていると、5つ星の最高級ホテルの横に、中国銀行を確認することが出来たので、朝になれば行こうと思う。
    僕は、再び川沿い公園のベンチへと戻り、そこに荷物を置いて、枕代わりとして、横になった。

    しかし、標高500メートルの成都と言えども、やはり夜は寒い。
    今回は一応、寝袋を持ってきてはいるが、リュックの底にあるため出す気にはなれず、僕は、チベット自治州で着ていた、完全防寒をするが、まだ少し寒い。

    これ以上、服はないので、どうしようもないのですが、身体の中、体内を温めるアイテムは、一つ残っている。それは、康定で買った、白酒。中国の焼酎でございます。しかも!アルコール度数は、56度です。
    僕は、これを飲んで身体を温めようと思い、一口ゴクリと飲んだ。
    しかし、アルコール度数、56度の酒は、身体を温めるのを通り越し、焼けるように熱い。

    しばらく、この酒を飲んでいると、ただの酔っぱらいとなってしまい、ベンチの上で、グタっと眠り込んでしまったが、寒さと警戒心から、約2時間ほどで、目を覚ました。
    このまま、ジッとしていると、寒いだけなので、散歩でもしようと思い、僕はリュックを背負い、荷物を持ち、歩き出した。
    時間は、午前6時前なので、市場へと向かう、リヤカーや自転車を走らせている人もチラホラと見える。

    僕は、先ほど手前まで行った、5つ星の最高級ホテルの中へ入り、外国人らしく「HELLO!」と言いながら、誰もが使える、1階のトイレへと行った。さすが、5つ星ホテルのトイレだけあって、室内は、暖房が利いているし、便座は温かいし、安宿より相当、居心地が良さそうだ。
    僕は、このトイレで1時間ほど過ごした。

    ホテルから出ると、外は朝になりかけていましたが、中国銀行が開く8時30分までには、まだ時間があった。
    あと1時間30分、ガンバロウと思った午前7時。「もう疲れた」と言って、ATMへと行き、カードを使い、500元(約7200円)を引き出し、僕が野宿していた場所から、良く見えていた、濱江飯店へチェック・イン。

    宿代1泊は浮いたが、疲れました。