パイ日記

     このままチェン・マイで中国ビザを待っていてもしょうがないので、今回の運命の旅人、マッツォ君のお勧めの地その一、パイへ行くことにした。
    ナイト・マーケットで彼と出会ったとき、「パイへ行かないのか?ものすごく良いところなんだゼ!」と強く勧めるので、行ってみようと思ったわけである。
    果たしてどんな所なんでしょうか?パイって。

     チェン・マイから車で約3時間、鮮やかな青空の下、山間の道をミニバスは走り、パイに到着。
    欧米人が好きな場所だけあって、砂利道のメインロードの左右には、欧米人好みのオープンカフェやレストランが建ち並んでいる。
    周囲には、高い建造物もなく、山々に囲まれた小さな街。「ほんと自然豊かな所に来たなぁ。」
    僕は昨日インターネットで調べておいたゲストハウスを探すが、地図もなく、文字だけの情報なので、さっぱり分かりません。

     リュックを背負いながらウロウロとしている僕に、一人の日本人青年が声をかけてきた。
    彼は今日の午後には、パイを出発するらしく、僕にパイの良さを語ってくれた。
    そして、僕が今いる通りから、さらに奥へ行けば、たくさんのバンガローのゲストハウスがあることも教えてくれた。

    この自然豊かなパイでバンガローか、いいなぁ。
    僕は奥まで歩き、小さな川に架かる、竹橋を渡った。
    そこには、自然の中にとけ込むように建っている、木と竹と葉で作られたバンガローがたくさん。
    これはイイー!欧米人がここを気に入るわけだ。僕も一度は、こういうところに泊まってみたかったんだ。
    ちょっとした“秘境”気分です。

    (左)泊まったバンガロー (右)パイの景色に溶け込むバンガロー

    僕は目の前のバンガローへ行き、1泊の値段を宿の人に聞いた。
    1つのバンガローに2部屋あるのが、1部屋=80B。1つの部屋しかないバンガローが120B。
    僕は、バンガローを独り占めしたかったので、120Bのバンガローへ。
    隙間は多いが、蚊帳(かや)もあって、ナイスな空間です。

     地図を入手して、少しだけパイを散歩してみた。
    “陸のパンガン”と異名を持つパイだけあって、欧米人旅行者のリゾート地って感じです。
    この街自体には、観光名所はないが、郊外には、トレッキングや温泉、滝など、自然豊かな見所がある。
    欧米人達はレンタルバイクやレンタルサイクルを利用して、リゾート気分を満喫している。
    欧米人は、訪れた国の文化を学ぼうという姿勢は、見受けられない人が多いが、自分自身のバカンスの過ごし方が上手です。リフレッシュの仕方が。

     僕は、ゲストハウスへと戻り、レセプションとなっている、大バンガローの2階へ。
    そこは、木で出来たテーブルが置かれていたり、座布団が敷いてあったりと、人々のくつろぎのスペースとなっている。
    僕はここで、昼間からビールを飲み、昨日の日記を書いていた。
    近くにいた欧米人が気を利かせてくれて、リゾート気分を高める感じの音楽をかけてくれた。
    いいねぇー。パイの自然をバックに、ビール飲んで、音楽を聴いて。サイコーです。
    僕は、この雰囲気に酔いしれている。
    なんか今まで、俺なりに海外を吸収しようと、がんばって旅してきたけども、こんな風に時間を使うのも悪くはない。

    (左)wat pakham (右)wat klang

     夕方、僕は寺院へと行ってみた。小さなパイにも寺院はあります。
    しかし、ここの寺院は、僕がミャンマーで見てきた寺院と、とても似ています。
    パゴダ(仏塔)の周りには、8曜の祠があり、しかもオールカラーです。
    8曜の祠には、各曜日の動物の彫刻がされておらず、どれがどれか分からなかったが、懐かしいです。

     パイの夜は早く、街灯が少ない。
    僕は、限りなく野外に近いシャワー室で、シャワーを浴びて、貸し切りバンガローへ。
    裸電球の灯りをともし、蚊帳を広げると、もう秘密基地気分です。この空間にハマリそう。

    しかし、それは一夜をここで明かした時点で、ぶっ飛んだ。

    午前3時。あまりの寒さのため目が覚めた。
    ここは山間部なので、日中との温度差が激しいことは、解ってはいたのですが、これほど寒いとは。
    僕は長袖のシャツを着て、寝ていたのですが、あまりの寒さのため、どうにもこうにも我慢できずに、持ってきた服を全て着て、毛布にくるまったが、これでも寒いです。
    そしてほとんど眠ることも出来ずに、未明に起床。
    朝焼けを見ることが出来たのは良かったのですが、バンガローの隙間だらけの竹の壁は、キツイです。
    夏なら良かったのですが、この時期のバンガローに2泊はちょっと出来なかった。
    そして僕は、コンクリートの壁のゲストハウスへと引っ越した。

    朝の市場にて

     こんな感じで、夜は寒さが厳しかったのですが、朝と昼は気分最高です。
    しかし、こんなパイも昼間に出会った日本人青年が言うには、今年までらしい。
    来年からは日本の有名なガイドブックにも掲載され、パイの一大リゾート開発が始まるらしい。
    「あそこに見える山が、削られてホテルが建つらしいですよ。もったいないですよ。」と彼は、山を指さして教えてくれた。
    僕も、もったいないと思う。

    ここがリゾート開発されれば、パイの魅力が半減してしまう。
    パイの魅力って、普通のごくありふれた自然な風景だと思う。
    時代の流れとはいえ、寂しいです。

    いつの日かパイが、らしくない、便利なリゾート地になるのか?
    そうならないことを僕は願います。





    ミャンマーに近い街、メーホンソーン

     朝6時半に目が覚めた。
    毛布と布団があったので、ジャンパーを着てまでして、寝ることはなかったけれども、コンクリートの部屋とはいえ、それなりに寒かったです。

     午前8時30分。メーホンソーンへ向かうバスに僕は乗った。
    メーホンソーンへ向かうバスの乗客は少ないが、反対にチェン・マイへ向かうバスには、入りきらないほどの欧米人旅行者であふれかえっている。

     道中は景色の良い山道を走ること、約4時間。
    メーホンソーンに到着した。ここもパイに比べれば大きいが、小さな街です。
    山道を抜け、市街地に入ったと思ったら、もう中心のバスターミナルに着いた。

    僕がバスから降りると、すかさず旅行会社の人なのか、ゲストハウスの人なのか知らないが、客引きの女性が、近づいて来た。
    僕はこの時、どうしても早くトイレへ行きたかったので、紹介されたゲストハウスへ行くつもりでしたが、ゲストハウスへ向かうワゴン車は出発する様子もない。
    もう待ちきれない僕は、このゲストハウスへ行くのをやめ、バイタクに乗って、前日パイのネット・カフェで調べておいたゲストハウスへ向かった。

     スッキリした後、メーホンソーンへ来た最大の目的、首長族の村を訪れるツアーの手配をした。
    料金はチェン・マイの時と比べると、500Bと安かったが、入村料(250B)や昼食代は別料金なので、チェン・マイの時と、あまり変わらない金額になりそうだ。

    「他にはどんな場所に行くの?」とゲストハウス横のツアー事務所で、旅行会社の人と話をしていると、「日本人ですか?どっかこの辺に、良いマッサージ屋ないでしょうか?」と一人の日本人青年が現れた。
    僕は今さっき、ここに来たばかりなので、全然分からない。など、話をしていると、彼は僕が泊まっている、フレンド・ハウスのお隣さんと知ったのは、会話の後の方のことであった。

    ワット・チョーン・クラン

    「メーホンソーンは狭いので、また会いますよ。」と1週間ここにいる彼は言い、去って行った。
    僕は一人、山の上にある寺院。Wat Doi Kong Mooへ向かった。
    昼間の暑さのせいで、参道となっている階段の登りは汗だくでしたが、ここからの眺めは非常に良く、小さな街メーホンソーンを見渡すことが出来た。

    ほんと彼が言ったとおり小さな街だった。
    仏塔の先端に付いている金飾りから、乾いた懐かしい音が聞こえた。
    目下の街を見ると、飛行機が僕の目線よりも低い位置を街の隣にある飛行場の滑走路に向かっている。
    そんな飛行機のエンジン音が、山に囲まれた小さな街にこだまする。
    そして、それは鮮やかな青い空に吸収されていった。

     山を下りた後、街一番の観光地、ワット・チョーン・クランとほとりの池、チョーン・カム池へ向かった。
    この寺院は、ミャンマーに近い様式だった。
    そして池の周囲の一角には、北方民族の人たちが、道ばたにシートを敷き、民芸品を売っている。
    僕は民芸品を眺めていましたが、やがて、ここの人と話をするようになり、ここの人たちがリス族だと言うことを知った。
    リス族の民族衣装は色使いがとても大胆で、デザインもシンプルでグッドだと言う感じのことを言うと、リス族のおばちゃんは、僕に「この衣装が好きか?欲しいか?」と聞いてくる。
    この衣装も売り物なの?いくら?と値段を聞くと、800Bだと言う。
    以前から、少数民族の衣装に憧れを抱いていた僕は、大奮発をして購入を決意。

    (左)北方民族デザインの入れ物 (右)市場の様子

    寸法を測るということで、僕はおばちゃんに手招きされて、おばちゃんが借りている部屋へ。
    おばちゃん達は、山を下り、この汚い部屋を借りて、毎日池の側で商売をしている。
    さっそく衣装を着させてもらうが、やはり小さい。
    女性用ということもり、どれもこれも僕には小さかった。
    おばちゃん手作りの既製品を着ることが出来ない僕は、特注ということになるらしい。
    そして、おばちゃんは今日、布地を買い、今晩作るからと、布地代の300Bを請求してきた。
    ということは全部で1100B。

    確かに民族衣装には、興味があるが、そこまでして買おうと思わなかった。
    しかし、ここまで来てしまった僕は、もう後へ引くことが出来なかった。

     おばちゃんともう一人のリス族の人と僕の3人で市場の布地屋へ向かった。
    そこは生鮮食料品や服など、小さな街特有の生活必需品の全てが集まっている市場だ。
    布地屋へ着くと、僕にどの色がいい?なんて聞いてきますが、僕が選んだ色は全て却下された。
    ハイハイ、そんならアナタのセンスに全て任せます。
    出来上がるのは、さっきまで明日と言っていたが、2日後になった。

     もうすっかり夕方になり、僕は食堂でフライドライス・チキンを食べた後、コンビニで買った、おつまみとビールを持って、池の側のベンチへ行くと、昼間に出会った日本人青年に出会った。
    「やっぱり会いましたね。」って感じで、お互いビールを飲みながら、僕が行ったミャンマーのことや、タイを1ヶ月旅しているtoshi君の話などをしていた。
    そしてtoshi君は昨夜、まさにこの場所で、5人の現地少年ヤンキーに囲まれて、ナイフでお腹を刺されたと言う。
    幸い傷は浅く、軽傷ですんだものの、こんな小さな街でこんな事が起きるなんて、
    メッチャ怖いやん。

     toshi君は翌日、メーホンソーンを発った。
    僕は、メーホンソーン最大のイベント、1日ツアーへ。