バゴーな1日

     今日も起床は7時頃。ミャンマーへ来てから、すっかり規則正しい生活をするようになった。
    朝食は、ゲストハウスの人が近所の喫茶店から持ってきてくれた数種類のお菓子とミャンマーのインスタント・コーヒー。

     朝食を食べ終わると、ゲストハウス専属か、なんか知らないが、サイカーのオッサンが、しつこく迫って来る。
    「今日はどこに行くんだ?俺のサイカーで観光しようぜ!2,000ksだ、安いだろ。」って感じだ。
    ヤツは、昨日、俺がバゴーに着いたときにも、しつこかったので、朝からウットーシーかぎりなので、こっちも嫌悪感をむき出しにしながら、断っていた。
    しかし、ヤツは言う「俺は貧乏なんだ。オマエが俺のサイカーで観光すれば、俺は幸せになる。」
    そして俺は言い返す「あっそう。オマエが貧乏なんは見たら分かるし、オマエが貧乏になろうが、幸せになろうが、俺は知らない。ノー・サンキュー!」と言うと、ヤツはしょぼくれて、あきらめた。

     僕はカメラと水を小さなリュックに入れて、お出かけ。
    今からバゴーで3、4番目に有名な寺院、チャイプーンパゴダへ行く。
    (1番は、ゴールデンロック。2番目は、シュエターリャウン寝釈迦仏だと思ってる。)
    ここへは路線バスで行けるらしいので、僕はバゴー唯一と思われる、大通りへ行き、いくつかのバスの運チャンに、「チャイプーンパゴダ」と言うと、このバスだと行けると教えてもらい、僕は地元の人々でギュウギュウ詰めになった、緑色のオンボロバスに乗った。

    (上)バゴーの市場
    (左)チャイプーンパゴダ

    ミャンマーに来て、初めてこんなバスに乗りましたが、人が多すぎて、メッチャ窮屈。
    しかも天井が低いです。女性の場合は席が空いていれば、係りの人が座るように勧めますが、男は立ったままです。

    うーん?これは、レディーファーストの国に支配されていた名残なんでしょうか?
    僕は係りの人に運賃を払おうと、「いくら?」と聞くと、指を2本たてたので、
    200ksか?と思い、200ks札を渡すと、バスの運賃は20ksだった。
    おっー!メッチャ安い。20ksって日本円で約3円くらいか?

    天井が低いバスが揺れると、僕は頭を頭上の手すりに“ガーン”とぶつけた。
    それが、隣の青年の笑いのツボに入ったらしく、青年は大爆笑。笑いすぎやっちゅうねん。
    そんなこともあり、バスは約10分ほどで、チャイプーンパゴダの参道前で停車し、僕はバスを降りた。

     チャイプーンパゴダは、人がいなかったので、ガイドブックには、2USドルと書いていましたが、お金を払わず、勝手に入り、勝手にお参りをしていた。
    ここは、ガイドブックの写真で見るよりか、かなり大きく見えて、思っていた以上に迫力があった。
    って言っても、”思っていた”がショボかっただけですが。
    ミャンマーのパゴダにある仏像などは、みんなオール・カラーなのが、なんていうか、とっても好きです。
    色が付いていると、なんでか偉そうに見えません。

     次は、サイカーに乗って、バゴーで2番目に有名な、シュエターリャウン寝釈迦仏まで行った。
    ここでは入場料が、なんと10USドル。バゴーの他の観光地との総合チケットなんですが、ここ以外の観光地って大したことなさそうなん、ばっかりです。
    チャイプーンパゴダには、もう行ってしまっていたし。
    ついでに写真撮影料の100ksまで払ってしまった俺は、もうバンバン写真を撮ってやんねん!
    と意気込んでいましたが、35mmレンズじゃ、このでっかい寝釈迦仏は入りきりません。
    28mmも無理だ。24mmも無理だろう。
    全体の写真を撮りたければ、20mmでいけるかどうかって感じだ。
    僕は寝釈迦仏の枕と足の裏の写真を撮って、終了。

    シュエターリャウン寝釈迦仏

     無理矢理の総合チケットなので、他の観光地も行ってみようと思い、近くにあるマハーゼディーパゴダへ。
    途中で、スカイ売りの少女からスイカを買い、日陰で食べながら、少し休む。
    「このクソ暑い中、スイカを売り歩いている子供達って、家庭の事情のためとは言え、エライなぁー。」
    なんて感心。日本のクソガキも、ちょっとは見習って欲しいもんです。
    なんて事を、考えながらバス停らしきところで、スイカを食っていると、その場に一緒にいた、小学生の女の子3人とお知り合いになり、一緒にマハーゼディーパゴダに行った。

    少女達にとってもパゴダは神聖な場所らしく、祠の前では手を合わせてお祈りをしている。
    少女達よりも小さな子供が、境内でクツを履いているのを見ると、「ここでクツを履いちゃダメ」と注意したりもしていた。
    小さな子にちゃんと注意が出来るなんて、感心、感心と見ていたら、
    少女達は、木から落ちてくる葉っぱを地面に落ちるまでにキャッチするという遊びを始めた。
    やっぱり子供は子供らしくが、一番やな。

     少女達と別れた僕は、シュエモードパゴダへと行った。
    パゴダの先端の装飾が、風に揺られ、さわやかな乾いた音を出していた。
    その帰り道に市場へ行き、ブラブラ。野菜や果物、ロンヂーに黒いぞうり、芸能人らしいポスターなどなど。
    お土産屋など、観光客を対象にした物はなく、庶民の市場です。

    バゴーにて

     市場では、シュエモードパゴダへ行く途中に出会った、スイカ売りの少女が、まだスイカを売っていた。
    ほぼ完売状態だからでしょうか?少女は少女らしくなく、疲れた表情でコンクリートの階段に座っていた。
    少女と目が合ったので、「さっきも写真を撮ったけど、また撮ってもいいか?」と訪ねると、
    少女は頷き、笑顔を作ってくれて、パシャ。
    少女に「ありがとう、バイバイ」と言って、僕はゲストハウスへと帰った。

     なんか今日は、久しぶりに自分らしい、のんびりとした1日を過ごすことができた。
    バゴーと言う、ちょっとのんびりした小さな街で、カメラをぶら下げ、街をブラブラ。最好ですね。
    俺が旅をしている中で、1番好きな時間の過ごし方です。

     明日は列車でモウラミャインへ移動。
    今朝、頼んでいた列車の切符はまだ、受け取っていない。ちょっと不安です。




    選択の余地なし〜モウラミャインにて〜

     朝7時に朝食を食べ、「チケットは?」と宿の人に聞くと、今、買いに行っている。ということらしい。
    別にゲストハウスの兄ちゃんを信じてないわけではないが、少々不安です。
    「大丈夫、大丈夫」と言われ、部屋に戻り、荷物を持って、チェック・アウト。
    宿の外にある椅子に座り、隣の家のインド人少女のコマ遊びを見ていた。
    しばらくすると、兄ちゃんが「ごめん、ごめん、遅くなって」って感じで、チケットを渡してくれた。

     列車の出発まで、しばらくの時間があったので、それまでイスに座っていればと言われたが、僕としては、不安なので、早めに駅へ行きたい。
    しかし、地元の人が言うことだからと、イスに座って待っていた。
    兄ちゃんは足の指をケガしていたので、日頃、ミャンマーの人々に、お世話になりっぱなしの僕は、日本から持ってきていた、消毒液を塗ってあげた。
    兄ちゃんの傷口に消毒液が、染み渡り、ブルブルっと兄ちゃんはからだを震わし、「サンキュー」と。

     8時15分になり、僕は「そろそろ駅へ行こうよ。」と兄ちゃんをせかした。
    兄ちゃんは「えっ!もう行くの?わかった。」と言い、僕が思っていた道順と反対方向に歩き出した。
    そして線路の上を歩き、3分かからずに駅に着いた。
    兄ちゃん曰く「サイカーは遠回りしよんねん。歩けばこんなに近いのに。ビックリした?」
    だからこんなに余裕だったのか。

    (左)バゴー駅の茶屋 (右)コオン屋台。モウラミャインにて

     駅のホームの茶屋で、兄ちゃんのおごりで紅茶を飲みながらお話。
    俺と歳が近い彼は最近、中国系ミャンマー人と結婚したらしく、彼女が時折話す中国語が、「全然わかりません。」と言っていた。
    そして、「今は、とても幸せだ」とも言っていた。
    列車は20分ほど遅れてやって来た。ここで兄ちゃんともお別れだ。

     駅では、ミャンマーの人々の本質を見たような気がする。
    荷物を、窓から、入り口から、車内へ投げ入れ、人々は入り口に殺到し、押し合いながら、突入。
    僕もリュックを兄ちゃんに渡し、窓から放り込んでもらい、僕は人々の中へ突入。
    やっと中へ入ることが出来たが、僕の席はどこだ?
    兄ちゃんが「ここだ!」と窓から、指を指してくれたので、荷物を上の荷台へ上げ、木製のイスに座る。
    兄ちゃんは僕の横に座っていた、インド人のオッサンに「あんたもモウラミャインへ行くのならば、こいつを頼むで!」って感じで、オッサンに言い、僕は兄ちゃんから、餞別に水をもらった。
    「ありがとう!」と言って、兄ちゃんと別れ、列車は動き出した。

     インド人のオッサンは、けっこう良いヤツで、僕に持っていた焼き菓子をくれたり、あれ食べるか?などと縦横無尽に行き交う、物売りが来るたびに、聞いてくれた。
    芋屋、タバコ屋、弁当屋、お菓子屋、ジュース屋、水屋の人たちなど、
    こんなにも人が行き交う中を、よく歩けるものだ、しかも頭に荷物を乗せて。感心してしまう。
    せっかく親切にしてくれいるのに、断るのは良くないと感じていたが、
    今日は、朝から体調が良くないので、ほとんど断ってしまった。

    モウラミャインの船着き場

     僕は、どこまでも広がっている田園風景を眺めていた。
    夕方になると、車窓からの風景は、より鮮やかになった。
    真っ青な空に、なだらかな山々の頂上に建っているパゴダが金色に光り輝いている。
    麓の人々の家は、木と葉と竹で作られた簡素な家が建ち並び、水牛が水浴びしたり、豚が走り回っている。
    子供達は列車が通ると、手を振ったり、追いかけたりし、女性達は井戸の前で水浴びをしながら井戸端会議。

     ここの人たちは、昔からこのような生活していたのだろう。
    ここが日本と同じように、1分が60秒で、1時間が60分という時間が流れているなんて、信じられない。
    日本で季節を感じることなく、高度な文明社会で猛スピードで生活をしている人にとっては、別世界に感じ、うらやましく感じる光景だ。
    ほんと、人々は、なんに対しても素直に生きている感じがする。

    俺もこんな風に、日本で素直に生きて行けたらいいのに・・・・
    列車は縦に横に揺れながら、走っている。

     途中、不明な停車もあり、列車は予定よりも1時間40分遅れで、終点のモッタマに到着。
    ここから船に乗って、モウラミャインへ行くが、もうすっかり日も沈み、夜になっていた。
    こんなに遅れたら、モウラミャインに着いてからのゲストハウス探しも大変になるな。
    インド人のオッサンに付いていき、僕も船乗り場へ。外国人は1USドルだ。
    値段が他の人よりも高いだけで、あつかいは他の人(ミャンマー人)と一緒だ。
    僕はインド人のオッサンが借りてきてくれた、木製の小さなイスに座り、夜空に輝く星達を見上げていた。

    モウラミャインにて

     船は約30分で、対岸のモウラミャインに到着した。
    船着き場では、帰郷を迎えに来た人や、サイカー屋などで、ごった返している。
    僕はインド人のオッサンに「ありがとう」と言い、握手をして、別れ、サイカーに乗った。
    しかしだ!このサイカー君が、かなりウットーシかった。
    こいつは、僕が言ったゲストハウスには行かずに、遙か遠くにあるホテルに俺を連れて行った。
    人が言った所に行かないサイカー君にこの旅初の激怒!

    こいつが連れて行ったホテルは、部屋の隣がカラオケboxで、部屋代はなんと10USドルでドミトリー。
    トイレ&シャワーは共同って言うか、カラオケboxのトイレを使えということ。
    こんな割に合わないホテルもそうそう見あたりません。
    俺はサイカー君に、日本語でボロクソに文句を言う。
    そして最初に言った、ゲストハウスへ行くが、残念なことに満室。その近くのゲストハウスも満室。
    モウラミャインには国内の観光客が多いらしく、安宿は彼らに占拠されてしまっていた。

    もう選択の余地がない僕は、しかたなく15USドルのホテルへ。ミャンマーの人は4,000ksだ。
    こういうときの外国人料金は、かなりムカツク!
    サイカー君も、もう疲れたから帰ると言う。オマエなんか帰れ!もう2度と俺の前に姿を現すなボケ!
    サイカー君は、当然のように金をくれと言ってきます。
    俺も、払う気がないわけでもないが、腹の虫が治まらないので、ぼろかすに文句を言う。

    モウラミャインにて

    サイカー君は「何を言っているのか分からない。2,000ksくれ」。と言ってきます。
    何を言っているのか分からないのは、あたりまえだ。そう思って俺も文句を言っているのだから。
    で、なんで2,000ksも払わなあかんねん!人が言った所に行かんと、オマエが勝手に遠い所に行って、疲れてるだけやろ!
    そんなもん知るか!金は払いません!と言うと、1,500ksに下がりましたが、俺は拒否。

    「オマエなぁ!さんざん人を連れ回しとって、何が金払えじゃ!アホか?オマエは。」
    サイカー君は少々ビビッテますが、金をもらうまでは帰る気はなさそうなので、たいがい文句を言った俺は、彼に1,500ks(約180円)払った。

    こいつのせいで、もう9時をまわってしまった。
    ミャンマーで9時って言うと、たいがい遅いです。

    明日、サイカー君に会ったら、また文句を言おう。日記を書いていると、またムカついてきた。
    15USドルの部屋は、この値段らしくなく蚊のパラダイス。